「さんこうあんにちじょう」は、HP「杉篁庵」(sankouan)の1頁です。
主にその日の庭の花の写真を掲載しています。
 
梅見月

梅見月心はいつも半開き 杉竹
思ひ出の古都へ旅ゆく梅見月 杉竹
春浅き梅見の旅の知らせありうきにきえせぬ雪路を越ゆと 横雲
待ち望む春を見に行く旅の朝越える山路の雪が眩しい やゑ

 

二月末の今日は旧暦では2月3日だから、新旧の暦の月の重なりはこの数日だった。
二月の異名は、「如月(きさらぎ)・着更着(きさらぎ)・麗月・梅月・梅見月・初花月・雪解月・草緑月・木芽月・殷春(いんしゅん)・仲春」とある。二月は「梅月・梅見月」と梅の香に満ちる月である。


兼六園の梅も咲き始めているという。
今年は今日から、七十二候の6候の「草木萌え動く」である。
雨水(二十四節気の二)の末候にあたる。雨水のこの時期に降る雨を「木の芽起こし」と呼ぶが、木の芽を膨らませ、植物の開花を助けるために必要な雨であり、さすがこのところ山も野もその気候に合わせて一気に色めいてきている。春のさきがけの梅だけでなく、木瓜が膨らみ、庭には梅だけでなく、ヒマラヤ雪の下・馬酔木・クリスマスローズが咲き、蕗の薹が顔を出している。春を探すのが楽しくなる時期である。
旧暦に合わせると季節感は重なるが、旧暦の言葉をそのまま新暦に移したりしているから節句などは季節にズレを感じてしまう。どちらに合わせたらいいのか迷うことも多くなる。

 

 梅見月百号の絵を担ぎゆく 文挾夫佐恵
 鎌倉へ向かふ車窓も梅見月 西村和子

 

このところなぜか西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」が不意に頭をよぎる。

【2017.02.28 Tuesday 10:57】 author : 杉篁庵主人
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春の昼

病室に春の昼ドラ流れをり 杉竹
露天湯に散りくる春を聴く真昼 杉竹
連ドラの指輪はずせる春昼はけだるく過ぎて外(と)に鳥の声 横雲
ゆっくりとだぁれもいない春の昼捲ってみたい空の端っこ やゑ

 

昨日「春の雲」で引き合いに出した「春昼」で詠んでみた。


「しゅんちゅう」の音は耳になじみはないが、漢字の字面としては味がある。
春昼と言えば春たけなわの感じである。


俳句では「春日和」とはあまりいわず「春昼」と詠み、一方秋は「秋昼」とはいわず「秋日和」と詠む。
秋の終わり頃から冬の初めの頃の穏やかで暖かい春の気候に似た日が続くことをいう「小春日和」の語があるからか。
春は一日中が季語になるようで、「春の暁、春の曙、春の朝、春の昼、春の夕、春の宵、春の夜、春の闇」と、すべて季語である。

 

 「春日偶成」其一 夏目漱石
 莫道風塵老 當軒野趣新
 竹深鶯亂囀 聒豌蜀綵

  風塵の老と道(い)ふ莫(な)かれ
  軒に当たりて野趣新たなり
  竹深くして鶯乱れ囀り
  清昼臥して春を聴く

世間の煩わしさにすっかり老けてしまったと嘆いてはいけない。
我が家では軒先にいて新鮮な自然の趣を味わうことができる。
竹やぶの奥のあちらこちらからも鶯のさえずる声が聞こえ、
すがしい真昼時、私は寝そべってその声に耳を傾け、春の情趣を味わうのである。

 

浮世の塵に老ふとはいはず
軒端の梅に想ひの新た
竹の奥より囀りもれて
臥せりて春を聴く真昼なり (訳詞・横雲)

 

妻は勝浦の雛祭りに出かけたが、杉戸の庵には行けないまま、漱石のこの詩を読みながら行ったつもりになっている。庵では鶯が囀りまわっていることだろう。それにしてもこの頃は身も心も「風塵老」の感が強くなった。

 

「風塵に老ゆ」の句は、唐の詩人、高適の詩に、「豈知書劍老風塵(豈に知らんや書剣風塵に老いんとは)」と詠まれている。風塵は、世間の俗事、わずらわしい物事の喩えであろう。
高適が杜甫に寄せた詩(「人日杜二拾遺に寄す」)である。
(人日詩を題して草堂に寄す,遙かに憐れむ故人故を思ふを。柳條色を弄して見るに忍びず,梅花枝に滿ちて空しく斷腸す。身は南蕃に在りて預る所 無く,心に懷く百憂復た 千慮。今年人日空しく相ひ憶ひ,明年人日何れの處なるかを知らん。一臥東山三十春,豈知らんや書劍風塵に老いんとは。龍鐘還た忝なうす二千石,愧づ 爾東西南北の人に。)

 

 この部屋に何用だつけ春の昼 渡辺善夫
 春昼の指とどまれば琴も止む 野沢節子
 七いろの貝の釦の春の昼 山口誓子
 春昼の指輪まあるくはずしけり 鳴戸奈菜
 鐘の音を追ふ鐘の音よ春の昼 木下夕爾
 はるかまで海の膨るる春日和 二村典子

【2017.02.27 Monday 07:18】 author : 杉篁庵主人
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春の雲

春の昼風遠くして雲かすむ 杉竹
春雲のわたるや友の訃報聞く 杉竹
さそへども君やこずゑの春の雲たよりの風に香を偲びける 横雲
きらきらとひかるあなたのメガネには流れる雲と春の風吹く やゑ

 

2月23日に「春寒し水田の上の根なし雲 河東碧青桐」を記したがこの雲がいかにも「春の雲」らしいと思う。

 

春になると、空の色、野づら、山谷など遠くのものがかすんで見え、横にすじを引いたようにたなびく霞が生じる。この春の薄い層雲、もや、煙霧を「春霞」と呼び、秋の「霧」とその感じを区別している。霧は、目の前に深く立ちこめるが、霞は遠く微かなもの、ほのかなやさしい感じのものになる。
やはり「夏の雲の峰・秋の鰯雲」に対して、「春」の雲は「霞」になるのだろうか。
霞の夜は「朧」という。


確かに「春の雲」は、多く形をなさず、薄く一面に刷いたように淡く現われる雲で、『朧』『朧月』『花曇』など春の季語に並んで、空全体がぼんやりと見えるような雲をいう場合もある。
春の真昼をいう「春昼」という季語がある。明るく暖かく閑かな真昼である。「春の雲」にはその柔らかい暖かさがある。「春の昼」に並んで、春の初めのあわあわとした雲、また深まる春の青空にぽっかりと浮ぶ雲も思い浮かぶ。
やはりこれが「春の雲」であろう。


いずれにせよほの暖かいやわらかさが感じられる雲ではある。
「春雲(しゅんうん・はるぐも)」「春昼(しゅんちゅう・はるひる)」「春日(しゅんじつ・はるひ)という音読みと訓読みの語の感触にどういう違いがあるか、句のたびに悩むが、句としては訓読みが多い気がする。

 

 雨晴れて南山春の雲を吐く 漱石
 曇りはてず又夕ばえぬ春の雲 正岡子規
 春雲は棚曳き機婦は織り止めず 虚子
 春の雲ながめてをればうごきけり 日野草城
 春の雲椋鳥寺の辺を奸み 飯田龍太
 しづかなる空にもあるか春雲のたなびく極み鳥海が見ゆ 齋藤茂吉

 

【2017.02.26 Sunday 07:15】 author : 杉篁庵主人
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かまい時

かなしうてメール待つ夜や構ひ時 杉竹
横丁の妹がり行く猫窓に月 杉竹 
構ひ時窓の月さへ隠れゆき春の空には声のみ残る 横雲
傷ついてやつれたままに浮かれ猫垣根に潜り目を光らせる やゑ

 

庭に花の香が漂う。梅と三椏と・・。


「かまいどき」は、最近知った季語である。春の生類季語で交尾期・獣や鳥が交尾するころを指す。
歳時記では「獣交(けものつる)む」あるいは「鳥交(とりさか)る」「抱卵期」の傍題の一つとされる。


そんな季語の一つに「妹がり行く猫」かある。「がり」は「…のもとへ、…の所へ」の意で、「相手を求めて泣く猫」のことである。
猫は主として寒中から早春へかけて、さかんに妻恋いを始める。一匹の牝に数匹の牡が鳴き寄り、赤ん坊の泣くような声を出し、いく日も家を留守にして浮かれ歩く。
「「妹がり行く猫」なんて名付けられた恋猫は、スケベ心を腹の底に発酵させつつ、それでいてそんなことには何も興味ないようなフリをしつつ、よそのカップルが街角でキスしてるとこを可能なかぎりの横目で観察しつつ、すごすごと家に帰っていく青っちろい男みたいだよなあ。」と夏井いつきの「解説」にあるが、これはいつきの男観がよく出ている。

 妹がり行くや猫益荒男ぶりの月 夏井なつき

 

繁殖期・交尾期・発情期に関連する季語としては、「獣交む・鳥つがふ」が代表的なもの。
「獣交む」の傍題には、「獣交る、種つけ、種馬、種牛、かまい時」があげられている。
「猫の恋」の傍題は多い。「猫の妻、猫の夫、恋猫、浮かれ猫、戯れ猫、通う猫、妹がり行く猫、猫の思い、猫の契、猫さかる、春の猫、孕み猫、猫交る」。
馬の繁殖期も春。「馬の仔 はらみ馬 馬の仔生る」。
「孕鹿(はらみじか)」。
「抱卵期」 は「鳥の巣」あるいは「鳥の卵」の傍題の一つ。
「鳥交る」の傍題、 「鳥つるむ、鳥つがう、鳥の妻恋、雀交る、鶴の舞、恋雀」なども同意の季語。
「孕み雀・雀の子・鳥の巣」これらには傍題がいくつもある。
以上はみな春の季語。


同種の「恋蛍」は夏の季語になる。
「妻恋ふ鹿・鹿の恋・孕み鹿」は秋。

 

別の話になるが、発情期を失って年中交尾期にある哺乳動物はヒトとネズミ類ウサギ類である。ネズミ・ウサギは捕食されやすく種を存続させるために発情期を失くし、いつでも交尾できるようになったのだというが、ヒトはまた違う因を持つのだろう。

 

 故郷に猿の出没かまい時 原田孵子
 鳥交る大河の空の白ぐもり 高橋悦男
 身に余る翼をひろげ鳥交む 鷹羽狩行

 

【2017.02.25 Saturday 06:44】 author : 杉篁庵主人
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二の午

二の午や祝詞の止みて風遊ぶ 杉竹
午祭おからの山の豆腐店 杉竹
二の午のすがしき朝の風光り祓ひの榊我を清めむ 横雲
二の午のお祓い終えた神官の裾ひるがへす風が優しい やゑ

 

初午(はつうま)は立春後の最初の「午の日」をいう。しかし、今では、単純に『2月最初の午の日』になっている。
今年の初午は2月12日(日)だった。で、今日2月24日(金)が二の午。二月の二回目の午の日。立春後に二月初の午の日がある年は問題ないが、二月はじめの立春前に午の日があるとこれが一回り狂う。カレンダーの記載もいろいろになるが、立春後とするところは少ないようだ。
二の午を祝って稲荷神社では祭礼が行われる初午に準じた稲荷の祭礼である。春の農事に先駆けて豊年を祈る祭であった。もともと田の神の信仰として全国に行きわたっており、この稲荷信仰はしだいに五穀豊穣だけでなく、商売繁盛や出世開運の神様として広く人気を集めるようになった。屋敷神や同族神も稲荷であることが多い。


江戸に多いものとして「伊勢屋稲荷に犬の糞」と言われた。伊勢屋は店の名で、今の三重県出身の人がよく使った屋号。愛知県出身の人の三河屋や滋賀県出身の人の近江屋もあった。「伊勢屋」と「稲荷」の多さは無関係ではないのかもしれない。とにかく江戸はお稲荷さんのないところはないといえるほどで、寺社の境内はむろん、武家屋敷では屋敷ごとに、市中は一町に三五社、地所があれば必ず安置し地所の守り神としたという。それら、武家屋敷の稲荷から町の裏長屋の奧の稲荷まで、すべて初午祭を行ったという。
二の午は、初午についで祭礼を行う地方と、二の午にのみ祭礼を行うところとがある。

 

初午には特段の祭礼はないが、二の午には隣のお宮は神主が来て祝詞を上げ祭事を行う。それにともなって我が家のお稲荷さんにも稲荷神のお使い役のきつねが大好物の油揚げ(稲荷揚げ)はじめとしたお盛ものお供えして祝詞を上げてもらう。例年若い神官が来る。今年は若い女神官、祝詞の声が風に舞う。

 

「初午」の関連季語として、「午祭」「一の午」「初稲荷」「二の午」「三の午」 「初午詣」「福参」「初午芝居」「初午狂言」がある。
この「初午芝居」は、江戸時代、初午の日に、下まわりの俳優や劇場の表方・裏方などが中心になって行った余興の芝居である。普段、主役を演じるものは下役に回り、下役や裏方が中心となるともいわれる。
芝居小屋とは切っても切れないお稲荷さまを祭る行事とあって、歌舞伎座では歌舞伎稲荷神社で「午祭」が執り行われ、今も関係者には稲荷寿司の御弁当とおしるこが振る舞われ、参拝した客にもお神酒と紅白の餅入りの温かいお汁粉が振る舞わる。

 

 立ててすぐ幟鳴りけり午祭 榎本好宏
 二の午や幟の外に何もなし 今井つる女
 ふいに来る大きな風や午祭 石田郷子
 油揚のいつより四角午祭 松倉ゆずる

 

【2017.02.24 Friday 11:38】 author : 杉篁庵主人
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春寒料峭

酔ひ醒ます料峭の風細き月 杉竹
料峭や落日の声惜しむ海 杉竹
肌撫づる風の冷たき夜半の道細き月影見る人もなく 横雲
ひやひやと夜明けに細い月残り春の寒さに撫でられている やゑ

 

春になって寒さがぶり返し、肌寒く感じられるさまを四字熟語で「春寒料峭」という。
「春寒」は春になってぶりかえした寒さのこと。
「料峭(リョウショウ)」の「料」は肌をなで触れる意味、「峭」は厳しい意味で、「料峭」は春風の肌寒いようす・春風が強く寒く冷たいさまを表す。「春寒し」の季語に並び、「春寒」、「料峭」ともに春の季語。

 

春寒と言えば、漢詩でまず思い浮かぶのが、「春寒賜浴華翆咫げ浩水滑洗凝脂。」という長恨歌の一節ではあるが、これはまたの機会にしよう。

 

清朝末期の女性革命家で詩人に秋瑾女史(1875年−1907年)がいるが、この人の詞に「寒風料峭」が詠われている。

  「菩薩蠻 (寄女伴) 」  秋瑾
 寒風料峭侵窗戸,垂簾懶向迴廊歩。
 月色入高樓,相思兩處愁。
 聊將心上事、托付浣花紙
 若遇早梅開,一枝應寄來。

 

 「女の伴に寄す」 秋瑾
寒風の料峭として窓戸を侵し、垂簾の懶(ものう)くして廻廊を歩む。
月色高楼に入り、相思両処に愁ふ。
聊(いささか)将に上事を心せむとし、托付するに花紙を浣(あら)ふ。
若(も)し早梅の開くに遇はば、一枝応(まさ)に寄せ来るべし。

 

(女性の友人に送る詩)
早春の寒気が窓から入ってきますから、下ろしたカーテンも物憂げで廻廊を歩んでいます。
月光がたかどのに射し込み、お互いに思いあい、離れた所で共に憂いていましょう。
このおもいを今また新たにして、お頼みするこの手紙も涙で濡れてしまいます。
もしも、早咲きの梅の花にお出逢いになったならば、どうぞ一枝、お送りくださいませ。

 

秋瑾は、美貌の革命家で、その情念を詩歌に託した。日本に游学して、満洲民族王朝覆滅、漢民族復興を目指す革命組織に参加し国家を再興しようとしたが、事敗れ、刑死する。時に、三十一歳。古い伝統に抗した、女性解放の闘士である。


 春寒し水田の上の根なし雲  河東碧梧桐
これは、「春の雲」の題で作った中の一句で、初期の作ではあるが、全国を行脚する自身を根無し草の草の部分を雲に置き換えて写して詠った句とみえ、後世から見ると作者の一生を暗示するようにもみえる。根なし雲の透明感がいかにも「春寒し」の感がある。(大岡信の解釈による)

【2017.02.23 Thursday 07:01】 author : 杉篁庵主人
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霞(かすみ)

音もなく満つる河口や遠霞 杉竹
鳥もまた霞の空へ融けしもの 杉竹
森昏れて霞める月のとけゆけば花の下にや悪女のあらむ 横雲
色のない霞んだ月がのぼるころ花の下から立ち上がる影 やゑ

 

昨日の話題にした「木の芽春雨」を詠んだ定家の歌がある。
 霞たち木の芽春雨きのふまでふる野の若菜けさは摘てむ(藤原定家・新後撰)
「霞たつ・木の芽春雨・若菜摘み」と春の材が盛りだくさんの歌である。

 

このカスミは、微細な水滴が空中に浮遊するため、空がぼんやりして遠方がはっきりと見えない現象をいう。古くは、春秋ともに霞とも霧ともいったが、後世は、春のを霞、秋のを霧というならわしになった。で、霞は春の季語。語源はかすかともいわれる。「霞立つ、霞たなびく」などといわれ、春の藹や霧を美しく言うときの文学的な表現になる。
霞には霧にはないほんのりと暖かく柔らかな肌触りがあるようで「霞たなびく」とはいうが、「霧たなびく」という表現はない。たなびくという柔らかな語感の言葉に結びつくのは春の霞のようである。

「霞立つ」をはじめとして、子季語が沢山ある。「春霞、山霞、朝霞、昼霞、夕霞、春霞、草霞、霞の海、霞の衣、霞棚引く、薄霞、遠霞、八重霞、横霞、叢霞、有明霞、晩霞(ばんか)、霞の海、霞の浪、霞の沖、霞の帯、霞の袖、霞の袂、霞の網、霞隠れ、霞の空、霞の谷、霞の奥、霞の麓、霞の底、霞敷く、霞渡る、草霞む」など古来歌で好まれたのであろう。
春の山野に立ち込める水蒸気。万物の姿がほのぼのと薄れてのどかな春の景色となる。
霞は、もちろん一年中見られる自然現象であるから、季語としては、「冬霞・寒霞・冬霞む・初霞・新霞・霞初む・夏霞・秋霞」がある。

この霞と同じ現象を、夜は「朧」とよぶ。霞は朝から午後までで、夕闇がおりてくると朧と使いわけるのである。子季語に「月朧、草朧、岩朧、谷朧、灯朧、鐘朧、朧影、朧めく、庭朧、海朧、家朧、朧めく」など。
「朧」の関連季語としては、「朧月、朧月夜、朧夜」。
 空気中の水分が増す春は、月も潤んだ感じがする。「秋の月はさやけきを賞で、春の月は朧なるを賞づ」と昔から言われるところである。

 

ところで、「霧」も「靄」も同じものを指すが、気象用語では、視程1km未満の状態を「霧」、視程1km以上10km未満を「靄」と呼ぶ。
実は「霞」は、気象用語として用いられていない。また、「靄」は単独では季語となっていない。

 

また、「霞草」という生け花や花束に重宝する草があるが、これは一年中あるものの、季語としては、「春か夏」に分類されているようだが、かすみにつられて春の季語としているものがほとんどである。

 

有明月が朧にかすむ朝である。

 

 春なれや名もなき山の薄霞 芭蕉
 草霞み水に声なき日ぐれ哉 蕪村

【2017.02.22 Wednesday 06:02】 author : 杉篁庵主人
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木の芽

優しくも伸びゆく思ひ木の芽立つ 杉竹
老の身に予報通りの木の芽風 杉竹
老が身に木の芽春風吹きゆけば再びの花見るをたのめり 横雲
つぶつぶとあなたを想い見詰めてる湧き立つようなこまかな木の芽 やゑ

 

「木の芽」という季語、自然の樹としては「このめ」と読み、食材としては「きのめ」と読む。

木の芽という季語は、陰暦二月の「木の芽月」や「木の芽道、木の芽山、木の芽垣、木の芽風、木の芽雨、木の芽晴、木の芽冷え、木の芽時、木の芽張る、木の芽吹く」のように、別の語と結びつけて用いることができる。
これらどの「木の芽」も「このめ」とよむ。
「芽立ち    芽吹く 芽ぐむ 芽吹き 芽吹山 柳の芽 芽柳」と関連季語は多い。
歳時記にある「名木の芽」という副題は、樹種によって、「楓の芽、額の芽、桐の芽、桑の芽、蔦の芽、朴の芽、林檎の芽」などのように用いると言う意味である。
木の芽が「張る」を、「春」にかけて、「木の芽春雨」「木の芽春風」という表現もある。こちらは歌で詠まれる。
「木の芽時」は、樹々が新芽を吹く時期をいい、急激な寒暖差が体にとって非常に大きなストレスになり、体や精神に変調のきたしやすい春先を指す言葉である。

 

料理として「木の芽味噌(きのめみそ)」「木の芽和え(きのめあえ)」が一般であり、山椒の若葉の木の芽をすり鉢ですり白みそなどの香り付けにし、茹でたタケノコやゆがいたイカに和えたものが木の芽和えで、山椒の芽はキノメとは称されてもコノメとは称されない。「木の芽田楽」「木の芽漬」も同じ。

この山椒は、山葵と並んで日本古来の香辛料であり、万葉の時代から「はじかみ」と呼ばれて香辛料、薬用として用いられてきた。庭に植えておけばよく茂り、芽も花も実も珍重される木である。芽吹きの山椒味噌だけでなく、花は佃煮のように煮た花山椒、ちりめん山椒をはじめとしていろいろ調理に香辛料として利用される実山椒、それぞれ季節の味わいがある。

 

「ものの芽」「もの芽」は、早春に萌え出るもろもろの芽のことで木の芽・草の芽の総称。
「木の芽」に対して、草の芽の総称は「草の芽」と言い別題。「菊の芽、菖蒲の芽、朝顔の芽、紫陽花の芽、山葵の芽、萩の芽、芍薬の芽、蓮の芽」などと草の名を冠した「名草の芽」は別題となる。
 
 もえいづる木の芽を見てもねをぞなく枯れにし枝の春をしらねば 兼覧王女(後撰集 )
  (詞書に「れかれにける男のもとに、その住みけるかたの庭の木の、かれたりける枝を折りて、つかはしける」とある。「春になっ て萌え出る木の芽を見るにつけても、 声をあげて泣いています。枯れてしまった枝(別れてしまった私)は春になったのがわからないで」)

 

 木々おのおの名乗り出たる木の芽かな 一茶
 美しく木の芽の如くつつましく 京極杞陽

 

【2017.02.21 Tuesday 06:17】 author : 杉篁庵主人
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冴返る

冴返る思ひは空の青に溶け 杉竹
河越えて風音遠し凍返る 杉竹
冴返る夜のひとり寝に垣に咲く香の身にしみて散るを惜しめり 横雲
寒戻る垣根の角の梅の香に誘われている寺町の道 やゑ

 

春一番が吹いた後、やはり冷え込んだ。
「冴ゆ」というのは冬の季語だが、春になってぽかぽかして来たのが、一転、また寒く冷え込むことは「冴返る」と言う。一度暖かさを経験しただけに、より冴え冴えとしたものを感じさせる。
春になって、いったんゆるんだ寒気が、寒波の影響でまたぶりかえし、その寒がきびしいさまを表す季語には、他に「寒返る」 「寒戻る」「寒戻り」がある。「凍返る」「しみ返る」も同様の季語である。

 

寒さが三日続くと、暖かい日が四日、という具合に寒暖を交互に繰り返しながら、やがて本格的な春になって行く。「早春の三寒四温」の三寒にあたる日が「寒戻り」であろう。
この「三寒四温」は、もともと中国の北東部や朝鮮半島北部で冬の気候を表わす言葉として使われ始めたもので、冬のシベリア高気圧からの吹き出す寒気が7日間ぐらいの周期で強くなったり弱くなったりすることに由来していると言われ、冬の気象の動きを指す言葉であったようである。
それが「季節の変わり目」という意味合いで使われ始め、本来の「冬」ではなく「春」に使われることになつたようだ。
ただ、「三寒四温」は俳句では本来の意で、冬の季語とされている。
この季語で作られる句は少ないうえ、作例には早春の季語として詠んでいるものが見受けられる。


これから本格的な春へ向かう訳だが、気温差が大きく寒暖差で体調を崩さないよう心がける時期ではある。

寒が明けた立春以降の寒さをいう「余寒(春寒)」、桜の花の咲く頃の寒さをいう「花冷え」などが、類似の季語になろうか。

 

 冴え返り 冴え返りつつ 春なかば 西山泊雲
 隈々(くまぐま)に残る寒さやうめの花 与謝蕪村
 

  「梅花」 王安石
 牆角数枝梅、凌寒獨自開。
 遥知不是雪、為有暗香来・
牆角(しょうかく)に数枝の梅、
寒を凌(しの)ぎて独り自(みずか)ら開(さ)く。
遙かに知る是れ雪ならざるを、
暗(ひそか)に香の来(きた)れる有るが為(ため)なり。
  ・牆角;かきねのかど。

 

 まがきなる梅のいくえだ
 さむざむと さきそめにけり
 はるけくも 雪にはあらで
 おぼろおぼろ 香ぞにおいくる
   (土岐善麿訳 「鶯の卵」より)

 

まがきのかどのうめのえに
さむきをしのぎひとりさく
はるかにしるはゆきならで
ただよひきたるかおりあり (横雲訳)

 

 

【2017.02.20 Monday 06:58】 author : 杉篁庵主人
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花粉飛ぶ

青空に花粉飛ばせり杉の郷 杉竹
星の夜も花粉降るらし眼の濡れて 杉竹
佳き人の花粉に病みて涙ぐむこの朝影に残こる半月 横雲
空に向け杉が花粉を吐いていて涙溢れる真昼の逢瀬 やゑ


春一番が吹いてマスク姿が一段と増えた。
杉花粉が飛び始めたようである。今や国民病といわれるほど多くの人が苦しんでいるのが花粉症である。
「花粉症」は、「杉花粉」「花粉飛ぶ」同様に春の季語として認められたようだ。
「花粉症」は、季語としては「杉の花」の小項目としてあげるか、独立した項目として登録しているかいろいろだが、句は数多く作られるようになっている。
花粉だけでは何の花かが問われるので「百合花粉」「松花粉」と詠われていたりするが、「花粉症」は代表的なスギ花粉症とみなすことになろう。
しかし、「スギ」以外にも様々な花粉が飛散する。花粉症を引き起こす花粉も、スギ、ハンノキ、イネ、シラカンバ、ヒノキ、カナムグラ、ヨモギ、ブタクサなどがあげられる。また、それぞれの花粉が飛散している時期やピークは異なり、いろんなものが1年中飛んでいることになる。ただやはり代表的なものの多くのピークは2月3月4月である。
5月頭のゴールデンウィーク頃には辛い花粉症の症状から解放されるのが例年だが、「ヒノキ花粉」に反応する人は5月いっぱいまでは悩まされるのだそうだ。

 

その年の花粉の飛散が多いか少ないかは、前年度(2016年)の夏の気温がどれくらい高かったかが影響するという。
2017年の傾向として、この夏の日照時間と秋から初冬に実施されたスギ雄花の調査から計算されたスギやヒノキの花粉飛散量は、西日本では昨年の2倍から4倍、東日本は0.8倍から1.1倍になる見込みと予想されている。

 七人の敵の一人は花粉症 伊藤白湖
 水軽くのんで笑って花粉病 関由紀子

【2017.02.19 Sunday 07:27】 author : 杉篁庵主人
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