「さんこうあんにちじょう」は、HP「杉篁庵」(sankouan)の1頁です。
主にその日の庭の花の写真を掲載しています。
 
初夏の北軽井沢
五月半ばの北軽井沢の様子です。












【2013.05.17 Friday 11:47】 author : 杉篁庵主人
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どうする!日本


原子力安全委員会が法的根拠もないまま、なんと適当に選任した成田脩(株式会社ペスコ部長)本間俊充(独立行政法人日本原子力研究開発機)のたった2名の委員の判断によって、子どもの年間被曝量20ミリシーベルトが決められていたという記者会見での報告があった。

ペスコは、「原子力エネルギーで未来をもっと明るくしていきたい」「原子力は準国産エネルギー」とうたう原子力総合エンジニアリング会社。原発を守るために子供を犠牲にしている基準であるといわざるをえない。


また、今日の読売新聞の「表土除去住民から不満相次ぐ」の記事、「福島の牛乳うれしい」の写真と記事には、愕然、涙が出てきた。
なお、表土除去の効果は4分の1〜6分の1ほどの値になるようである。


さて、これからの「エネルギー政策」はどうあるべきかを示す記事二本。
戦後史を転換させる契機にもなる「エネルギー」転換をがまともに論じられ始めている。

原子力と違い将にこちらは「純国産エネルギー」について。これらの電力については色々のところに記事がある。そのひとつ。
意外とスゴイ![純国産エネルギー]の実力
地熱発電の技術力は世界一!沖合の波パワーは3億キロワット!関東沿岸の洋上風力発電だけで東電の発電量をまかなえる!
CO2を排出せず、環境負荷が少なく、ウランや石油のように資源を外国に頼らない「国産エネルギー」の開発が各分野で進んでいる。今まで資源のない国だと思っていたが、実は日本は「資源大国」だった!?


原発に関しては方向転換した毎日新聞の記事の転載。
「CIA」「正力」「中曽根」「田中」によって進む真相が坦々と記されている。
毎日新聞 2011年4月20日 東京夕刊
特集ワイド:「国策民営」 日本の原子力、戦後史のツケ
 危機と対応の混乱が続く福島第1原子力発電所。この国には、この「フクシマ」を含め54基の原子炉がある。そもそも被爆国であり地震国でもある日本に、なぜ、これほど多くの原発が造られたのか? 「原子力の戦後史」をひもといた。【浦松丈二】
 ◇米国の「冷戦」戦略受け導入 政治主導で推進、議論尽くさず
 <ポダムとの関係は十分成熟したものになったので、具体的な協力申し出ができるのではないかと思う>
 早稲田大学の有馬哲夫教授(メディア研究)が05年、米ワシントン郊外の国立第2公文書館から発掘したCIA(米中央情報局)機密文書の一節である。終戦直後から60年代までに蓄積された474ページにわたるその文書には、日本に原子力事業が導入される過程が詳細に描かれていた。
 「ポダム」とは当時、読売新聞社社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(1885〜1969年)の暗号名。原子力委員会の初代委員長を務め、のちに「日本の原子力の父」と呼ばれる人物だ。
 「戦後、CIAは正力氏と協力して日本で原子力の平和利用キャンペーンを進めていきました。彼が政財界の有力者とのコネを持っていただけでなく、新聞やテレビを使って宣伝できたからです」。有馬教授はそう解説する。
 米国から日本への原子力導入の働きかけ。そこには米国の「政策転換があった」と言う。転換点はアイゼンハワー大統領が53年12月の国連総会で行った「原子力の平和利用」演説だった。ソ連との冷戦で優位に立つため、関連技術を他国に供与して自陣営に取り込む戦略だった。
 唯一の被爆国でもある日本が原子力を受け入れることの戦略的意味は、米国にとって大きかった。一方、正力氏にとっては「首相の座を狙うための政治キャンペーンでもあったことが機密文書から分かります」(有馬教授)。
 54年に日本初の原子力関連予算を要求したのは当時、改進党に所属していた中曽根康弘元首相らだった。予算が衆院を通過したのは、ビキニ環礁での米核実験で漁船員らが被ばくした「第五福竜丸事件」が明るみに出る約2週間前の3月4日。中曽根氏はギリギリの日程で原発関連予算を通す。中曽根氏は原子力関連法を次々に提案し、科学技術庁(現文部科学省)の初代長官に就任した正力氏とともに、原子力事業を推進した。
 だが、急速に原子力へと傾いていったことは、日本に禍根を残す。「その一つが事故の際の住民への賠償問題です。細部の議論を尽くさずに原発を導入してしまった」。有馬教授はそう指摘する。
 ■
 70年3月14日、日本初の商業用軽水炉として、日本原子力発電の敦賀1号機が大阪万博開幕に合わせて稼働し、万博会場への送電を開始した。正力氏はその前年に他界している。続いて新エネルギーとしての原子力に注目したのは、73年の第1次オイルショックと前後して資源外交を進めた田中角栄元首相だった。
 「田中角栄 封じられた資源戦略」(草思社)の著者でノンフィクション作家の山岡淳一郎氏は「オイルショックをきっかけに石油の限界性が強く意識されるようになりました。そして、高度成長以降、強気の電力需要予測に基づいて全国に原発が造られていった」と説明する。
 田中元首相は自民党幹事長だった69年、東京電力柏崎刈羽原発の建設誘致に動く。首相末期の74年6月には原発の立地支援のための交付金などを定めた電源3法を成立させた。「建設業界、電力業界、官僚、学会が右肩上がりの需要予測を利用して原発を推進した。『列島改造』という国土開発に原発が組み込まれた時代だったのです」
 さらに田中元首相は、米国頼みだったエネルギー政策を転換する。「田中氏は欧州の原子力大国フランスとのパイプを築き、ウラン資源を確保するとともに(プルトニウムを抽出する)再処理技術にも触手を伸ばそうとしました」。そのうえで山岡氏は「先見の明のあった田中氏であれば、そこで原子力だけではなくクリーンエネルギーにも翼を広げておけばよかったのですが……」と語る。70年代、2度のオイルショックを経て日本は原発一辺倒に突き進む。
  ■
 世界では、2度の大事故で原発は停滞期に入る。79年に米スリーマイル島事故、86年にはソ連(現ウクライナ)でチェルノブイリ事故が起き、欧米で脱原発の機運が高まった。だが、日本は97年ごろまで毎年150万キロワットのペースで原発を拡大させ続けた。
 原子力政策の専門家で、97〜09年に原子力委員会の専門委員を務めた九州大学副学長の吉岡斉教授(科学史)は「政治は自民党一党で安定し、通産省(現経済産業省)も原発を継続する強い意志を持っていた。2度の大事故の影響は日本では限られていました。世界の情勢に逆行して日本で原発が拡大した背景には、政治と行政の特殊な構造があった」と話す。
 ところが、90年代初めのバブル崩壊以降の電力需要の低迷で、原発建設はスローダウンしていく。さらに90年代半ばに発電事業者の新規参入を認めた電力自由化で、原発は岐路にさしかかる。
 「通産省内でも『補助金漬けの原発は財政的に問題で電力自由化に逆行する』『特に金のかかる核燃料再処理事業をやめるべきだ』との議論が出てきた。05年ごろまでに再び原発継続の方向で固まったが、市場原理に基づけば原発は成り立たない。電力会社も本音ではやりたくないが、国策に従っているだけです」
 吉岡教授には、忘れられないエピソードがある。高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ火災事故(95年)を受け、97年に科学技術庁が設置した高速増殖炉懇談会に委員として招かれた。
  「ところが、議論のさなかに自民党が存続方針を出してしまったのです。懇談会の結論もそれを追認した。われわれの議論は何だったのかと思いました」
 戦後、日本は米国から原発を導入し、オイルショックで公共事業として推進し、バブル崩壊後も政府の手厚い保護下に置いてきた。政府が計画を立て民間の電力会社が運営する「国策民営」(吉岡教授)の二元体制。それが、福島第1原発の事故対応でも混乱を招いているのではないか。
 政治に利用され続けた原子力。それは資源小国ニッポンの宿命だとしても、代償はあまりにも大きかった。


これがこれまでの原発の本質だった。
原発と地域振興 
えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こいうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)


はじめに記した記事のように国民をだましてよしとし、正しい情報は海外からしかえられない状況が生まれた理由は以下の記事に読み取れる。採録しておく。

あまりにヒドすぎる菅政権「福島原発」情報統制の実態
週プレNEWS 4月27日(水)21時58分配信
■今や日本政府の信頼度は地に墜ちた
 福島第一原発による大気中の「放射性物質拡散予測」を3月末まで一般に公表しなかった日本政府が、またもや世界を唖然とさせる行動に出た。
 今まで「レベル5」と発表してきた「原発事故国際評価数値」を、4月12日に最悪の「レベル7」まで引き上げたのだ。これで福島第一原発の深刻さは、旧ソ連で25年前に起きたチェルノブイリ原発事故と肩を並べることになった。
 このレベル7は、放射性物質の放出量が数万テラベクレル以上になったことを意味している。《それほどの放射性物質が出続けた事実を公的に認めるまでに1ヵ月も要したのは異常》だと『ニューヨーク・タイムズ』紙が批判したように、今や日本政府への国際評価は地に墜ちてしまった。
 そもそも、レベル7の根拠となる放射性物質の放出量についても、経済産業省/原子力安全・保安院は「37万テラベクレル」と言い、内閣府/原子力安全委員会は「63万テラベクレル」と言っている。倍近い差があるふたつの公式数字が同時発表されたむちゃくちゃな状態なのだから、それも仕方ないだろう。
 チェルノブイリ事故の放射性物質放出量は520万テラベクレルとされているので、日本政府は原子力安全委員会の数字を根拠にチェルノブイリ事故の1割と発表したらしい。ところが東京電力は、政府見解とは矛盾する次の見解を同じ12日の記者会見で明らかにした。
「放射性物質の放出量からみて、チェルノブイリ事故に匹敵、または超えるかもしれない事故になったことを重く受け止めている」
 果たして、どちらの言い分が真実なのか? 事故発生以来、その最も重要な放射能数値計算を重ねてきた小川進博士(工学・気象学・農学)は、こう推測する。
「原子炉内に残るウラン燃料棒の数についても諸説があり、今のところ信憑性が高いのは、1〜4号炉のウラン総量は781tで、そのうち約90tが損傷した計算になるというものです。さらに主な放射性物質18種類のうち、ヨウ素131、132、134、セシウム134、136、137の6種類は3分の1の量、つまり30tが1ヵ月以上の間に大気中と海中と施設地下の土壌へ漏れ出たと考えていいでしょう。
 それに対してチェルノブイリの放射性物質放出は10tだったので、福島第一原発は1割どころか3倍規模に達し、炉心冷却作業が進行しても完全隔離しない限り放出総量は増大します」
■情報統制は復興の邪魔でしかない
 実は、3月14日に福島第一原発3号機が大爆発した直後、すでにフランスの放射能に関する独立調査情報委員会「CRIIRAD(クリラッド)」がチェルノブイリを上回る大惨事に発展する可能性を指摘していた。その調査チームが急遽来日したニュースは大きく報道されたが、あとはぷっつりと消息が途絶えてしまった。なぜなのか?
「CRIIRADの調査は信頼度が高く世界中の研究者が注目しましたが、3月15日の福島県内での放射性物質飛散量が最高で基準値の1千万倍に達し、都内でも16日夕刻にかけて基準値の100万倍を記録したという詳しい測定値を国際配信したとたん、その活動を日本の大手マスコミは無視し、公的研究機関もデータ提供をやめたんです。
 ほとんどの日本国民は知らないことですが、この時点で日本政府と報道機関が足並みをそろえた極端な情報操作が始まり、世界中から猛烈な反発を受けるようになったのです」(小川進博士)
 確かに、日本政府に対して放射能影響予測データの公開を迫ったIAEA(国際原子力機関)の緊急声明は強い非難口調だった。しかも、その日本政府のあからさまな秘密主義路線は、外国だけでなく国内の研究機関にも向けられたようだ。九州の国立大学理学部に在職するM教授は、こう憤慨する。
「われわれは東京大学の学術サイトに頻繁にアクセスして研究を進めていますが、3月末から原子力関連だけでなく地学や気象学など、いくつもの分野でパスワードを持っていてもアクセスができなくなった。同じ国立大同士でもこのありさまですから、私立大学はもっと困っているようで、学問の独立と自由が保障されない暗黒時代が来たと嘆いています」
 また、一般国民の間では反原発集会やデモ参加者の数は増えるばかりだが、実は大手新聞とテレビ局はこの件をあまり報道していない。
 福島原発事故関連の論文をいくつも日本向けサイトに発表し、注目を集めているアメリカ西海岸在住の物理学者・日沼洋陽氏は言う。
「今の日本の現状は、むしろ外国にいたほうが冷静に分析できます。反原発デモについては反日勢力が暗躍している疑いもあり、報道管制が敷かれても仕方ない面があるかもしれませんが、福島原発事故の本質部分である環境汚染や健康被害の実態に関する隠蔽は、そろそろ目に余る段階にきています」
 確定情報しか発表できない政府の立場もわかるが、重大事実を小出しにし続けていると、原発事故の傷口を広げるだけで震災の復興を妨げかねない。
 4月13日には福島県内で、プルトニウムと同じく、極めて毒性の強い放射性ストロンチウムが検出されたと発表があったが、その分析調査は3月16日から始まり、とっくに結果がわかっていた疑いがある。
 さらに、海洋研究開発機構も海洋放射能汚染のシミュレーション画像を4月13日に初公開したが、これも民主党に仕分けされかかったスーパーコンピューターを使って、早い時期から準備されていた可能性が高い。
 はっきり言おう。原発事故のレベル7への格上げに合わせて、いくつもの見え透いた新情報発表が行なわれたことは、どれほどお人よしの日本国民でも気づいているのだ。そろそろ思い切って「最悪のシナリオ」をさらけ出さないと、真の復興へ向かうスタート地点は、いつまでたっても見えてこない……。

 

【2011.04.28 Thursday 11:13】 author : 杉篁庵主人
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法人税減税





政府税制調査会は8日、焦点の法人税減税について、国税の法人税に法人事業税など地方分を含めた実効税率で5%引き下げを目指す方針を固めた。財源の一部にするため「研究開発税制」の見直しを検討するという。
また、地球温暖化対策税(環境税)を2011年10月から導入する方針も固めた。石油・石炭税を現行の1.5倍に増やし、増税分を環境税に位置づけ、家庭への影響については、標準世帯で電気料金が月額34円、都市ガスが同10円の負担増になると試算している。

法人税についてはこのブログでは、
2010.06.29 「佇めば汗じんわりと纏ひけり」 で触れている。

法人税関連の優遇税制について
 「研究開発減税」 企業が製品開発や技術改良のために支出した試験研究費の一定割合を法人税額から差し引ける制度。研究開発費の多い大手製造業に得な制度です。減税額の9割程度が資本金10億円以上の大企業。2007年度決算データから推計するとトヨタ自動車は822億円、キヤノンは330億円の減税です。
 「外国税額控除」 海外に進出した日本企業が外国で法人税を払う場合、その分を日本で払う法人税から差し引く制度。外国企業に優遇税制を敷いている途上国で法人税の減免措置を受けた場合でもその分を払ったとみなして控除される場合があります。
「しんぶん赤旗」 2010年6月24日(木)による。上の図表も。

 

 


 

【2010.12.09 Thursday 09:38】 author : 杉篁庵主人
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29年ぶりの常用漢字見直し




30日、現行の常用漢字表から5字を削除し196字を追加するなどした「改定常用漢字表」(2136字)が内閣告示された。

「一般での使用の目安」とされる常用漢字見直しは29年ぶりのこと。「常用漢字」は法令や公文書、新聞、雑誌、放送など一般社会で使用する漢字の目安となる。
1981年に現行1945字が内閣告示され、それまでの「当用漢字(1850字)」に代わって登場し、当時は字数増が歓迎され、一般での使用の目安として広く受け入れられた。

情報機器による「変換文化」が盛んになって漢字は一層身近になった。また「交ぜ書き」改善などが求められてもいた。それでの改定であった。

すべき改定ではあったが、むやみに増やしていけば言いというものでもなく、改定の影響を強く受ける教育現場での扱いがどうなされるのかもはっきりしない。表のないようにも疑問が残る。
難しい漢字が多く増えたのに、「高校で主なものが書ける」という目標はそのままで、入試での扱いも明確ではない。
「最低基準」を示すものであったほうがいいのではなかったか。

内容的なところで見てみると、
・「教科書や国語辞典をはじめ,一般の書籍でも当該字種の字体として広く用いられている。」ことをよりどころに字体を選んでいるが、〔例えば,上述の「漢字出現頻度数調査A」では,(頬:8 回,頰:6685 回)・(亀:6695 回,龜:  4 回)・(遡:2 回,遡: 753 回)・(餌: 3 回,餌: 1377 回)をあげて〕現状で字体を選ぶのではなくこれからどうあるべきかも含めた全体の整合性で見るべきであった。
また、「改定常用漢字表」の「目安」としての性格を考慮し、「・ 目安としての漢字表である限り,表外漢字との併用が前提となる。この点から表内の字体の整合を図る意味が,制限漢字表であった当用漢字表に比べて相対的に低下している。・ 今後,常用漢字が更に増えたとしても表外漢字との併用が前提となる。その表外漢字の字体は基本的に印刷標準字体であるので,表内に入れば,字体を変更するということが繰り返されると,社会における字体の安定性という面で大きな問題となる。」と言っているが、わざわざ「表」を策定し基準とするのである。表内の整合性を計ることのほうがずっと教育的で重要なことではないか。

いくつか具体的問題点を挙げる。
・「しんにゅう/しょくへん」にかかわる字のうち、「辶(二点しんにゅう)」とこれまでの一点しんにゅうの混在。「飠」の二系の字形。これらは括弧に入れて許容字体として併せ示されているが通用字体(新字体)がまずあげられるべきだろう。
「字体の許容」を適用するのは,具体的には「遜・遡・謎・餌・餅」の5字(いずれも括弧の中に許容字体が記される)である。
・表では、銭と践の間に箋がある。なんともおかしい。足と金や水は簡略体、竹は旧字、「賤」は表外だからそのままにしろという。経過を知らない限り分けのわからないなんとも混乱した表なのだ。箋は簡略体を標準にすべきであろう。一方、亀は一番簡素な簡略体ひとつにしているのだ。
・同じく、「賭と箸には点があり、著には点がない」という混乱(?)した表になっている。  

  
改定常用漢字表一覧(2010年11月30日告示)
改定常用漢字表のすべてのPDFファイル(A4サイズ、8ページ)の一覧(読売新聞)

【2010.11.30 Tuesday 12:00】 author : 杉篁庵主人
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山辺の紅葉探りて日を暮らす

この一週間で山荘の周りはすっかり黄色く染まった。桜は黄色から紅く色かえ、楓は一部分が紅葉し始めた。赤松と落葉松の葉も黄色く色づいてきた。
今の時期は、樹木の種類・地形・標高差によって紅葉の様子が異なる。散策しているとその変化が面白い。
茸も同様で種類で生える場所が異なるようである。ただあまりに荒れた山には見られない。それなりの日当たりと風通しと湿度があるらしい。

【2010.10.08 Friday 15:22】 author : 杉篁庵主人
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夢残る夜明けの空に細き月


今朝は明けやらぬうちに目覚めてしまった。
「驚覺謝娘殘夢」の句が思い出された。
今は月の無い頃だが、黄葉を浮き上がらせる夜の明けようとするほのかな明るさが月明かりに似ていのだろうか。
東の空を見てみると月は夜明け前の木立の間にほっそりと光り、やがて明るくなるにつれて白んでいった。
月の時期も時刻も異なるが「驚覺謝娘殘夢」は次の詞の一節。


  酒泉子 其四 李洵
秋月嬋娟、
皎潔碧紗窗外、
照花穿竹冷沈沈、
印池心。
凝露滴、
砌蛩吟、
驚覺謝娘殘夢、
夜深斜傍枕前來、
影徘徊。

秋月嬋娟として、
碧(あを)き紗(うすぎぬ)窓の外に皎潔たり、
花を照らし竹を穿ち沈沈と冷えて、
池心に印す。
凝れる露の滴りて、
砌(みぎり)の蛩(こほろぎ)吟ずれば、
驚き覚めて謝娘の夢残る、
夜深く斜傍の枕前に来たりて、
影徘徊す。
・嬋娟(せんえん):容姿のあでやかで美しいさま。
・皎潔(こうけつ):白く清らかで汚れのないさま。
・沈沈:静まりかえっているさま。特に、夜がふけてひっそりとしているさま。
・砌:滴の落ちるきわ。水ぎわ。軒下や階下の石畳。 「時節」でもある。
・謝娘:詞では、若くて美しい女性を指す。才女・歌妓を指していう。
・傍:対になっているものの一方。かたほう。
これは先日あげた「酒泉子」と同じ詞牌とされているが、「酒泉子」は一詞牌に数多くの異体がある。




【2010.10.06 Wednesday 11:18】 author : 杉篁庵主人
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林道にアミハナイグチ秋深む

アミハナイグチという茸はこれも落葉松の林のに生えていることが多いらしい。あちこちに群生している。
このところは日に日に色変えて行く林の朝の散歩では日のあたり具合が楽しみになる。
爽やかな空気に鳥のさえずりまで澄んで聴こえ、思わず人声が懐かしくなって携帯に手がのびたりする。

黄葉の一片舞へり朝日影

【2010.10.05 Tuesday 10:30】 author : 杉篁庵主人
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性賢寺愛でて並ぶる茸仕分け

このところ日に日に林が黄色く色づいて行く。秋の深まりが当に目に見える。
赤くなる葉も色かえはじめた。

山荘を訪れた知人が辺りに茸が群れ生えているのに歓喜の声を上げていた。
今年は茸がなかなかでないと聞いていたが、先日の雨の後一斉に生えたようであった。
知人に教えてもらうとなるほど路傍に幾種もの茸がある。目が馴れると次第に見えてくるのは面白い。花と苔にいっていた視線がまた違った辺りをさまよう。

知人は茸狩りにいつも八ヶ岳に行くのだそうだが山が異なると茸の種類も変わるそうである。あれこれ教えられながら、山荘の周りを散策して茸を採った。
これで、林の様子や木の種類で生えているものが違ったりすることを知り、これからの散策が楽しみになった。

標題の句の性賢寺(しょうげんじ)とは茸の種類で松茸に似た食感がある。

【2010.10.04 Monday 10:31】 author : 杉篁庵主人
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女郎花秋雨連綿花化粧

雨がちだったが、やっと週末は陽が差す気配がある。
山道は湿っている。紅葉はまだまだ先の様子だが、もう一度冷え込めば始まりそうではある。別荘地内は相変わらず人気がない。

秋雨の詞を一つ。

 酒泉子  李洵
秋雨聯綿、
聲散敗荷叢裏、
那堪深夜枕前聽、
酒初醒。
牽愁惹思更無停、
燭暗香凝天欲曙。
細和煙、
冷和雨、
透簾旌。

秋雨連綿として、
声 敗荷の叢裏に散ず、
那(なん)ぞ深夜枕前に聴くに堪へん、
酒初めて醒む。
愁ひを牽き思ひを惹き更に停まる無く、
燭暗く香凝りて天曙(あ)けんと欲す。
細き煙、
冷き雨、
簾旌(れんせい)を透く。

李洵は、五代十国の前蜀の詞人。855?〜930年頃。
「花間集」から採る。



【2010.10.02 Saturday 10:12】 author : 杉篁庵主人
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秋雨の苔に優しく軽井沢

知人の紹介で軽井沢の喫茶店に立ち寄った。
そこは旧軽井沢銀座の中程、奥に向かって左側(郵便局の反対側)の細い路地を入った奥にあった。
昨年夏開店した「Art Cafe 江戸屋」というお店で、通りの喧騒から離れて静かな落ち着いた雰囲気の家庭的なお店であった。絵の展示販売もしていた。
テーブルにあった案内記事をそのまま転載して案内に代える。
〔オーナーがオリジナルマップで散策道を案内してくれるので、旧軽井沢を訪れたらまず立ち寄りたい店。地元「大和屋」の軽井沢コーヒーや、「みつばち広場」の蜂蜜入り紅茶を自分の好きなカップで楽しめる。オーナー夫婦は音楽家でもあり、希望に応じたBGMを選んでくれるほか、ミニコンサートも開催予定。〕

【2010.10.01 Friday 11:22】 author : 杉篁庵主人
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