「さんこうあんにちじょう」は、HP「杉篁庵」(sankouan)の1頁です。
主にその日の庭の花の写真を掲載しています。
 
「日本、死んだ。」

 

一年を振り返ろうとしても、なかなかその気になれない。
ひたすら心身ともに萎え続けている。

 

沖縄の状況と参院選など、日本がからめとられていく状況を目の当たりにし、近々の県知事の自治権の無力化の動きや、(江戸時代天皇の退位などごく普通のことだったのに)天皇の退位意思を曲げて勝手に危うい制度を作っていく安倍の恣意的専横的政策は目に余るものの、それを批判できず許していく世情にもただ嘆きを重ねるこの一年だった。

 

さらに、フクシマ後の原発対応に見られる通り原発政策も悪化するばかりだし、相変わらずの理に合わない「貧困層の拡大政策」や、一般国民・大衆を貧者にすること(人件費を貧国並みにすること)で金もうけを実現しようと次々に打ち出される国策は、日本および日本人を崩壊させ続けている。

 

絶望的だと思い、いちいちここに記すこともせず過ごしてはいるが、嘆きは深まるばかり。
この暮れの迫ったところで振り返っても、年金やガジノ法案がまさに「滞りなく」通っていった。
オスプレイが墜落(不時着できず大破!)した件でも、基地外もアメリカ支配の実態があらわになったのに、政府は「着水」を変更できず、報道もこの事態を批判もできずそのまま垂れ流した。それゆえ米軍は躊躇なく飛行再開を実行、という事態が生まれた。安倍になってアメリカの言いなりになる姿勢からこの支配力はどんどん強まっている。
一方、アメリカの束縛から逃れなければ北方領土は帰ってくるはずもなく、ロシアが四島に米軍基地ができるのを認めると想像できたのだろうか。返還の機運を進めると言って、この障害を打開する策を持っていたのかと思えば、やはり金をばらまくしか能のない無策で、外交を知らない官僚と安倍は馬鹿なことに、日本に帰属権も領有権もないことを確定させ、北方四島問題に終止符を打った。この失政を糾弾もできず、また、この記者会見で日本の記者は、シリア内戦への関与とアレッポ情勢でプーチンにどうどれだけ突っ込めたのか、通り一遍の回答で良しとしたのか、その報道がなく、記者もここを突くことがこの時はたすべき「ジャーナリストの責務」だろうにまるで役立たずだった。真珠湾訪問の際もジャーナリズムはその意味を突くこともできないまま苦し紛れの美辞麗句で糊塗した。
安倍政権の方向を海外は見極めている。「日本を除く」G7加盟国(米英仏独伊カナダ6カ国首脳)が、アレッポ即時停戦の共同声明を出していて、アレッポの状況を「ロシアと認識を共有する」日本は排除された。
平和や人道の問題を世界に発信する時に、道を外れていることを自覚できず報道の自由を自ら放棄している日本の現状は、世界情勢としては、劣化国家として先進諸国から外され、加害者側ととらえられるようになってしまったのだ。
なにしろ、「国民の生活のための政治は間違っている、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義は憲法からなくす」という主張が内閣やその周辺で公然と語られる現状を批判できずにいるのだから。

 

安倍は「1億総活躍社会」というが、フランスの新聞は「反知的政策」と書いていた。
いよいよ「一億総痴呆社会」が実現する。そして、国民はこれらを含め、国内的にも次々に提示される貧しいものを増す政策を是とし唯々諾々に受け入れ、同時にそれぞれの心の中に残す「中流意識」にしがみつき、己が弱者であることに気づきえず弱者を切り捨てる意識を醸成していく。

 

その状況が国を亡ぼすと、どうして、その愚かさに気づけないのか。
これほど異常な日本会議に染められた一党支配が続く国はもはや民主主義国家ではなくなっているのだ。
新聞をはじめマスコミがみな多様な選択とを示すことなく一辺倒になっていることに嫌悪を感じない人々の異常さが恐ろしい。
私は、2012年末の衆院選以来悪化したこうした政治状況社会状況に絶望的になって、俳句や恋の歌という狭い世界に逃げ込んで、それはそれで自分自身ふがいない限りではあるのだが、今の日本はもう皆めしいてやけっぱちで坂道を転げ落ちている感をいよいよ強くした一年だった。
カエルを熱湯の中に入れると驚いて飛び出すが、常温の水に入れて徐々に熱すると、カエルはその温度変化に慣れていき、生命の危機と気づかないうちにゆであがって死んでしまうというほんとかウソかがまことしやかに語られるが、例え話としてはよくできている話で、環境適応能力を持つがゆえに、漸次的な変化は万一それが致命的なものであっても、従順なものほど受け入れてしまうのだという。
危機は進行していて、私を含めもう皆茹で上がり沸騰死寸前なのだろう。

 

ことほどさように、もはや「日本、死ね」でなくもうとっくに「日本、死んだ」だ。
日本が愛せない国になっていくのが悲しい。

 

よいお年を、と言うのもむなしい気がする。
それでもあきらめずなおこの世の誤りをえぐりだし抗議し抵抗し続ける多くの人のいることは救いである。
来年はよき年になりうるのでしょうか。
庶民のささやかな幸せがいつの間にか溶けて消えているということにならないように・・・ 合掌

 

【2016.12.31 Saturday 10:10】 author : 杉篁庵主人
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見られなかった五輪

やっと五輪が終わったようだ。
この間、私は、電波の届かない山奥でテレビを見ないで静かに過ごした。
しかし、世の中は、やはり、クーベルタンの思い、「スポーツを通じた心の育成=オリンピックは参加することに意義がある」はまるで忘れ去られて、気持ち悪いほどに「金だ!金だ!」と叫んでいたようだ。

見る気になれないままだった。
NHKおはよう日本の解説によると「五輪開催5つのメリット」は、なんと「々餔卮揚」「国際的存在感」「7从囘効果」「づ垰坡発」「ゥ好檗璽鎚顕修猟蠱紂廚世修Δ澄8淮愀章にあるオリンピックの目的、「スポーツの基礎である肉体的、道義的性質の発展を推進し、スポーツを通じ相互理解の増進と友好の精神によって若人たちを教育し、それによってよりよい、より平和な世界の建設に協力する」という「平和、人権、差別撤廃」といった「オリンピズムの根本原則」はもはや眼中にない。ただ国威発揚と金儲けのイベントに堕落していることに人々は嫌悪を感じないのだろうか。
 

【2016.08.22 Monday 17:23】 author : 杉篁庵主人
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「危ふき時代(とき)」を迎えて、参院選を前に

 

2012年12月の衆院選で、危惧は危惧のままに現実となって以来、「危ふき時代(とき)」は深まり続けている。
いつまでたっても覚醒の時が訪れない。

 

東京の三宅がどこまで伸びえたかに僅かな期待をもっていいのかとの思いはうまれているものの、全国的な選挙情勢には大きな変化が見られない感じで、明日の参院選投票日を前に、一言だけやはり書いておく。

 

 

「日本は暗黒時代に入っている。/やがては、憲法改正、核武装、徴兵制へとその道は進んでいく。/やはりこの時、沈黙は「悪」であろう。」と書いたのは、2015.12.30 。
その更に、その二年前の2013年12月30日のブログ「良い年なんて来るのか?」と書いているが、このブロクで政治的記事がなくなったのは、2012年12月の衆院選後であったから、私の絶望感は三年半を超えている。


「善師者不陳,善陳者不戰,善戰者不敗,善敗者不亡。」(前漢書 刑法志第三 より)
「善く師する者は陳せず、善く陳する者は戦わず、善く戦う者は敗れず、善く敗るる者は亡びず。」
これは、北村薫の『ベッキーさんシリーズ』の「幻の橋」と「鷺と雪」という小説の中に出てきて知った言葉だ。
小説から引用すると、「うまく軍を動かす者なら、布陣せずにことを解決する。しかし、その才がなく敵と対峙することになっても、うまく陣を敷ければ、それだけでことを解決できる。さらに、その才がなく実戦となっても、うまく戦えば負けない」。そして、「善く敗るる者は亡びず」。
さて、「善亡者」とはありうるのだろうか、と考えてしまう。
この北村薫のベッキーさんシリーズは、五・一五事件から二・二六事件までの四年間を世俗から離れた令嬢の視点から活写した作品だった。
令嬢のお抱え運転手であるスーパーレディの「ベッキーさん」は様々の疑問をさらりと解決して爽快なのだが、最後に示さる彼女の諦念が今の私の絶望とシンクロする。
「いえ、別宮には何も出来ないのです」「何事も――お出来になるのは、お嬢様なのです」という最後のセリフに、若い人たちの覚醒を期待するしかない絶望を読んではいけないのだるうか。

 

さて、6月27日発売号の「週刊現代」で、がんとの闘いを続けている大橋巨泉(82)が、休載していた週刊現代のコラムを、「何時まで生きられるかわからない」と深刻な病状を告白したうえで、最終とした。
「今週の遺言」と題したこのコラムによると、「このままでは死んでも死にきれない」と、最後の遺言として「安倍晋三の野望は恐ろしいものです」。参院選で野党に投票するよう読者に呼びかけている。
巨泉が集中治療室に入り、コラムの連載が終了したことは各テレビ局でも大きく報道されたが、彼が最も伝えたかった〈安倍晋三の野望はおそろしい〉〈選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい〉というメッセージを放送した番組はひとつもなかった。
〈今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉

 

 

【2016.07.09 Saturday 16:46】 author : 杉篁庵主人
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オバマ大統領の広島演説
オバマ米大統領が27日に広島市平和記念公園で行った演説全文は次の通り。
時事通信 5月27日(金)22時4分配信
 
  71年前の雲一つない晴れた朝、空から死が降ってきて、世界は一変した。閃光(せんこう)と火の壁が街を破壊した。そして人類が自らを滅ぼす手段を持ったことを明示した。

  なぜわれわれはこの地、広島にやって来るのか。そう遠くない過去に放たれた恐ろしい力について思案するために来るのだ。10万人以上の日本人の男性、女性、子どもたち、数千人の朝鮮人、十数人の米国人捕虜を含む死者を悼むために来るのだ。彼らの魂は私たちに話し掛ける。そして彼らは私たちに内面を見つめるように求め、私たちは何者なのか、何者になるかもしれないのかを見定めるよう求めるのだ。

  広島を際立たせているのは戦争の事実ではない。暴力的な紛争は原始人にも見られることが遺物から分かる。石英から刃物を作り、木からやりを作ることを学んだわれわれの祖先は、こうした道具を狩りだけでなく、同じ人類に対して使った。全ての大陸で、文明の歴史は戦争で満ちている。穀物の不足であれ金(ゴールド)への渇望であれ、国粋主義の熱狂的な扇動や宗教的な熱意であれ、帝国は興亡し、人々は支配されたり、解放されたりしてきた。節目節目で、罪のない人々が苦しみ、無数の死者を出し、彼らの名前は時間とともに忘れられた。

  広島と長崎に残酷な結末をもたらした世界大戦は、最も豊かで最も強力な国々の間の戦いだった。彼らの文明は、世界の偉大な都市や素晴らしい芸術を生んだ。その思想家たちは正義と調和と真実についての考えを進展させた。しかし、最も単純な部族間紛争の原因となった支配や征服への同じ基本的な本能によって戦争へと発展した。古いパターンが新しい能力によって、新たな制約もなく増幅した。

  数年の間に、およそ6000万人が亡くなった。われわれと何ら違いのない男性、女性、子供たちが、撃たれ、たたかれ、行進させられ、爆撃され、収容され、飢えさせられ、ガスで殺された。世界中に、この戦争を記録する多くの場所がある。勇気と英雄の物語を示す記念碑、言葉では言い表せない悪行がこだまする墓地や空になった収容所がある。

  しかし、この空に立ち上ったきのこ雲の姿は、人間性の中心にある矛盾を最も鮮明に想起させる。われわれを種として特徴づけるひらめき、思想、創意、言語、道具を作ること、自然界から人類を区別し、自然をわれわれの意志に従わせる能力。これらがいかに、不相応な破壊力もわれわれに与えるかということを。

  物質的な進歩や社会革新が、どれほどこの真実からわれわれの目をそらさせるのだろうか。われわれは、より高度な理由のため、暴力を正当化することをいかに簡単に学んでしまうのだろうか。全ての偉大な宗教は愛と平和と正義への道を約束するが、いかなる宗教にも信教を理由に人を殺すことができると主張した信者がいた。各国は犠牲と協調の元に国民を結束させる話を説きながら台頭し、偉業が成し遂げられるが、同時にこうした話は自分たちとは異なる人々を虐げ、人間性を奪う口実に利用されてきた。

科学のおかげで私たちは海を越えて交流し、雲の上を飛び、病気を治し、宇宙を理解するが、こうした科学的発見はより性能のいい殺りく兵器にも変わり得る。
 
  近代の戦争は私たちにこの真実を教えてくれる。広島がこの真実を教えてくれる。技術は、人間社会の進歩を伴わなければわれわれに破滅をもたらす。原子の分裂へと導いた科学的革命は、モラルの革命も必要とする。

  だから私たちはこの場所に来る。私たちはここ、この街の真ん中に立ち、原爆投下の瞬間を想像せずにはいられない。目の当たりにしたことに混乱した子供たちの恐怖を感じずにはいられない。われわれは声なき叫びに耳を傾ける。あのひどい戦争、これまで起きた戦争、そしてこれから起きる戦争で命を落とす全ての罪のない人々のことを忘れない。単なる言葉だけでこれらの苦しみを表すことはできない。しかし、私たちには歴史を直視し、こうした苦しみを食い止めるために何をしなければならないかを自問する共通の責任がある。

  いつの日か、ヒバクシャの証言の声は聞けなくなるだろう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶は決して薄れさせてはならない。その記憶のおかげで、私たちは自己満足と戦うことができる。その記憶が私たちの道義的な想像力をたくましくしてくれる。その記憶が私たちに変化を促してくれる。

  そしてあの運命の日以来、私たちは希望を持てる選択をしてきた。米国と日本は同盟を構築しただけでなく、戦争を通して得られたものよりもはるかに多くのものを私たちにもたらした友情も築き上げた。

  欧州の国々は、戦場を商業と民主主義の結束に変えた連合を構築した。抑圧された人々と国は自由を勝ち取った。国際的な共同体は、戦争を回避し、核兵器の存在を制限、縮小し、究極的には廃絶を目指すための制度と条約をつくった。

  それでもなお、われわれが目にする国家間のあらゆる侵略行為、世界中でのあらゆるテロ、汚職、残虐行為、抑圧は、われわれの仕事が決して終わっていないことを示している。悪事を働く人間の能力をなくすことはできないかもしれない。そのため、国家、そしてわれわれが締結している同盟は、自身を守る手段を持つ必要がある。しかし、私の国のように核兵器の備蓄がある国は、恐怖の論理から抜け出す勇気を持ち、核兵器なき世界を追求しなければならない。私が生きているうちに、この目標を実現できないかもしれない。しかし、粘り強い努力によって破滅の可能性を低くできる。こうした備蓄の破棄につながる計画を立てることはできるし、他国への拡散や致死性の物質が狂信者の手に渡るのも阻止できる。

しかし、それではまだ十分ではない。

  今日の世界を見渡すと、最も粗末なライフルやたる爆弾でさえ、恐ろしい規模の暴力をもたらすことができる。われわれは外交を通じて紛争を防ぎ、起きてしまった紛争を終わらすため、戦争自体に関する考え方を変えなければならない。われわれの相互依存の拡大を暴力的な対立ではなく、平和協調への理念と見なそう。破壊の力ではなく、つくり上げるもので国を定義しよう。

  そして、恐らく何にもまして、われわれは一つの人類の仲間として、お互いのつながりを改めて思い起こさなければならない。これも、われわれ人類を類ない存在としている。われわれは遺伝子情報によって、過去の過ちを繰り返すよう規定されてはいない。われわれは学ぶことができる。選ぶことができる。われわれは子供たちに別の物語を話すことができる。共通の人間性を描いたり、戦争の可能性を減らし、残虐さをそれほど簡単には受け入れたりしない物語だ。

  われわれはヒバクシャのこうした話を知っている。原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性がいる。本当に憎んでいたのが戦争それ自体だったと分かったためだ。この地で死亡した米国人の家族を捜し出した男性がいる。彼らと自分自身の損失は同じと信じていたからだ。

  私自身の国の物語も、簡単な言葉から始まった。「全ての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」(米独立宣言)。この理想の実現は決して容易ではなかった。わが国内や国民の間でさえそうだった。しかし、この話に忠実であろうと努力する価値はある。それは、真剣な努力に値する理想であり、大陸そして海を越えて広がる理想だ。全ての人間の絶対的な価値を示し、全て生命は大切であるという揺るぎない主張だ。われわれは皆一つの人類という家族の一員であるとの根源的で必然的な考え方だ。これこそ、われわれ皆が伝えなければならない物語だ。

  これが広島を訪れる理由だ。愛する人、自分の子供たちの朝一番の笑顔、台所の食卓越しの夫や妻との優しい触れ合い、心安らぐ親の抱擁といったことに思いをはせるためだ。こうしたことに思いを寄せると、71年前にここで同じように大切なひとときがあったということが分かる。亡くなった人々は、われわれのような人たちだ。普通の人には分かることだと思う。皆、戦争はたくさんだと思っている。科学の驚異は暮らしの向上に焦点を当てるべきで、命を奪うものであってはならないと考えている。国々やその指導者が決断を行うときにこの単純な知恵が反映されれば、広島の教訓は生かされたことになる。

  世界はここで永遠に変わってしまった。しかしきょう、この街の子供たちは平和に一日を過ごすだろう。それは何と貴重なことか。それは守るに値することであり、全ての子供がそうあるべきだ。これこそわれわれが選択できる未来だ。広島と長崎が核戦争の夜明けとしてではなく、私たち自身の道義的な目覚めの始まりとして知られる未来だ。

 
【2016.05.28 Saturday 07:10】 author : 杉篁庵主人
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第9回 寺のまち回遊展

自然と歴史資産に恵まれた行徳を広く知っていただくため、また住んでいる行徳の方々にも愛着と誇りを持っていただくために9回目の「寺のまち回遊展」が開催されました。
曇天の少々寒い一日でしたが、あちこちめぐりながら楽しんでいる方が多かったように思います。
全体的な様子です。↓
http://sankouan.sub.jp/kaiyu-9/kaiyuuten9.htm



 
【2016.03.26 Saturday 17:39】 author : 杉篁庵主人
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寺のまち回遊展

「自然と歴史資産に恵まれた行徳を広く知っていただくため、また住んでいる行徳の方々にも愛着と誇りを持っていただくため」の9回目の「寺のまち回遊展」が、3月26日(土)9:30〜15:30に開催されます。

昨年の様子はこちら。
http://sankouan.sub.jp/kaiyuuten8.htm

今年第9回寺のまち回遊展の会場別催しは次のようなもののようです。 
 ★は体験スタンプがもらえます。スタンプ3つで景品と交換。※景品は数に限りがあるということです。
1 妙好寺
1565年創建の日蓮宗寺院。山門は切妻茅葺の四脚門で、市川市指定有形文化財。スタンプラリー景品交換所。
ミニカーデニング (花苗の販売) ミニバザー ミニ喫茶(おにぎり、豚汁)甘酒の接待

2 溝寿寺
清寿寺
1695年創建の日蓮宗寺院。『耳病守護七射霊神・おちか』、民話『神猿おちか』で有名。
★11:00〜12:00 行徳の民話のつどい「民話の会」,「すがの会」

3 妙典春日神社(妙典3丁目自治会館)
 本殿の彫刻が見事。3年に1度のお祭りでは1対の獅子頭(雄雌)がまちを練り歩く
★お囃子演奏・体験(午後)「妙典お囃子保存会」

4 ぎやらり一Ξ平 (蔵&サクラコートホール「手づくり市」)
第1回「市川市景観賞」を受賞した美しい街並みの一角に佇む日本家屋。
10:00-16:00 手づくり市
※ぎゃらり一三平内では常設展
(23名の作家が出展:布小物、ネックレス、陶器、衣類など)

5 常運寺
1616年創建の日蓮宗寺院。『枕返しのお祖師様』と呼ばれる日蓮人が本尊。
★11:00〜12:00熊海南水一人語り 「山本周五郎の梅咲きぬ」※トークあり※聴講料500円

6 徳願寺
1610年創建の浄土宗寺院。山門、鐘楼堂、経蔵が市川市有形文化財。徳川家ゆかりのお寺。
本堂  ★腕輪念珠作り「茶坊えにし」
客殿  着物・手芸「楽々帯作りの会」「徳願寺手芸サークル」
勧進堂 寺宝公開
山門  ★12:30寺宝見学ツアー(12:30〜14:30)集合場所
会館  ★10:00〜「童謡クラブどんぐり」 障害者バンド「レンコンバンド」
会館前 古布を利用した作品販売等「市川市婦連協」 やきそぱなど「茶坊えにし」
    マドレーヌ、お抹茶、おもち販売「ガールスカウト千葉県第81団」
    しいたけ「メープル」クッキー「レンコンの会」花苗
    珈琲の試飲・販売、アウトドア商品の展示販売「クロワーズカップ」
境内  フリーマーケット「市川市ボランティア協会」他

7 妙応寺
中山法華経寺の末寺で、七福神が一ヶ所でお参りできる。
駐車場 ★11:00〜14:00防災に役立つことを学ぼう!  スイトン販売「災害ボラネット」
    東北&勝浦の海産物(干物、わかめなど)、  赤飯、さくらもち販売「和洋会」

8 長松禅寺
1554年創建の臨済宗寺院。昔の名残りか、山号を『塩場山』という。
本堂  ★10:00〜11:00〜12:00〜座禅体験(先着18名)13:00〜虚無僧による尺八演奏


9 妙覚寺
1586年創建の日蓮宗寺院。境内には房総にただ1基の珍しい『キリシタン灯籠』がある。
本堂  ★13:00〜14:00ウクレレコンサート
境内  ★介護・福祉関係展示・体験「未来介護プロジェクト」
客殿  地酒と天然酵母パン、土手煮、赤米おにぎり、甘酒「サケパンナイト47cafe出張所」

10 法善寺
1600年創建の浄土真宗寺院。開山上人が人々に塩作りを教えたことから『塩場寺』とも呼ばれる。
会館  寺宝展  展示販売「ちりめん細工小ぎれ会」和菓子販売「菓匠 京山」
    盆栽「盆草クラブ」、お茶席(子どもお茶会も)

11 本塩豊受神社(本塩自治会館)
本塩の鎮守。3年に1度の五ケ町の祭礼では、神輿がお宮に入るクライマックスでおおいに盛り上がる。
境内 ★お囃子演奏・体験(午後) 「本塩お囃子保存会」

12  圓頓寺
1584年創建の日蓮宗寺院。本堂正面の山号額は、幕末の三筆市河米庵によるもの。枝垂桜が美しい。
本堂  書の展示
    ★11-12:00 ヨーガ教室(影山教俊先生)瞑想教室
    ★12-13:00 歌声広場(梅崎英行先生)
    ★14:00 住職のお話「元気になる方法」(柿川教叡上人)
    ★10:00-14:00栄養相談「栄養をどうとったら良いか」
    フラワーフェスディバル、花御堂の設置、あま茶供餐、
    お釈迦様に供えるお花一輪募集
門前 「岩佐精肉店」のコロッケ販売

13 本久寺
1572年創建の日蓮宗寺院。眼病守護の日蓮大菩薩の祖師本尊や、日蓮聖人一生の彫刻は必見。
本堂  ★仏具に触れよう 団扇太鼓体験(随時)
    ★11:00-12:00郷土史講演会(鈴木和明氏)
    眼病・学問の神様 日朝上人像公開  日蓮聖人御一代記の欄間公開
    地元行徳の仏師浅子周慶作 鬼子母神像御開帳郷土史講演会

14 岩崎邸
昔の民家。屋根裏部屋もあって興味深いつくりです。
垂物公開,市川市まち並み景観整備課 PR

15 田中やと文化屋3丁目
築100年を超える歴史的建物とお隣のお休み処です。
田中邸  建物公開 ちりめんこぎれ会展示 江戸芸(三味線 新内流し等 悠玄亭玉氏)
          おもしろ車実演など(木のねんどの彫刻家 小杉壮八氏)
文化屋  10:0045:00 ★フエイスペイント
     カレー南うどん、コーヒーセットお茶「みんなで子どもを育てる会」

16 常夜灯公園
この常夜灯は、日本橋小網町と行徳を結ぶ行徳船の航路の安全祈祷のため建立されたもの。
川辺の駅(茶店);カレー、焼きそぱ、コーヒー、甘酒等(肉のあずま)、浜焼き等

17 旧浅子神輿
江戸時代前にさかのぼる古い神輿店。建物は一見の価値あり。
建物公開、神輿関係パネル展示

18 胡録神社
関ヶ島の鎮守。3年に1度の祭礼では1対の獅子頭(雄雌)が街を練り歩く。スタンプラリー景品交換所。
境内  獅子頭公開             

19 徳蔵寺
天正13年(1575)開山された真言密教の寺院。 仏画教室が開かれている。
本堂  ★10:00-12:00 写仏体験(体験料300円)随時受付  書画・経典の展示

20 中台製作所
嘉永元年創業以来160余年、行徳に古くから伝わる行徳大唐破風型神輿をはじめ各種神輿を製作している。
神輿の組み立て実演

桜も咲き始めている様子、お散歩がてらにどうぞ。
 

【2016.03.24 Thursday 12:57】 author : 杉篁庵主人
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大飯原発運転差し止め判決

東京電力福島第1原発事故後、安全性の保証をせずに大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を再稼働させたとして、福井県の住民らが関西電力を相手取り運転差し止めを求めた訴訟で、福井地裁(樋口英明裁判長)は21日、現在定期検査中の2基を「運転してはならない」と命じ、再稼働を認めない判決を言い渡した。東日本大震災に伴う福島事故後、原発の差し止めを認める判決は初めて。樋口裁判長は「危険性があれば、運転差し止めは当然」と述べた。

福井地裁の「判決要旨」全文がオンライン掲載されていたので記録として転載しておく。

※これは、「判決全文」ではなく判決「要旨」の全文である。
判決全文はこちら

「大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨」

主文

1 被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

2 別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23名)の請求をいずれも棄却する。

3 訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

理由

1 はじめに

ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。

個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。

2 福島原発事故について

福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。さらに、原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。

年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり、どの見解に立つかによってあるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、既に20年以上にわたりこの問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、今なお広範囲にわたって避難区域を定めている。両共和国の政府とも住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても帰還の強い願いを持つことにおいて我が国となんら変わりはないはずである。それにもかかわらず、両共和国が上記の対応をとらざるを得ないという事実は、放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかけるものである。上記250キロメートルという数字は緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が直ちに過大であると判断す’ることはできないというべきである。

3 本件原発に求められるべき安全性

(1) 原子力発電所に求められるべき安全性

1、2に摘示したところによれば、原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。

原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。このことは、土地所有権に基づく妨害排除請求権や妨害予防請求権においてすら、侵害の事実や侵害の具体的危険性が認められれば、侵害者の過失の有無や請求が認容されることによって受ける侵害者の不利益の大きさという侵害者側の事情を問うことなく請求が認められていることと対比しても明らかである。

新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。しかし、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった葛藤が生じることはない。原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

(2) 原子炉規制法に基づく審査との関係

(1)の理は、上記のように人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。

 4 原子力発電所の特性

原子力発電技術は次のような特性を持つ。すなわち、原子力発電においてはそこで発出されるエネルギーは極めて膨大であるため、運転停止後においても電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、他の技術の多くが運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる原子力発電に内在する本質的な危険である。

したがって、施設の損傷に結びつき得る地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も電気を利用して水によって核燃料を冷却し続け、万が一に異常が発生したときも放射性物質が発電所敷地外部に漏れ出すことのないようにしなければならず、この止める、冷やす、閉じ込めるという要請はこの3つがそろって初めて原子力発電所の安全性が保たれることとなる。仮に、止めることに失敗するとわずかな地震による損傷や故障でも破滅的な事故を招く可能性がある。福島原発事故では、止めることには成功したが、冷やすことができなかったために放射性物質が外部に放出されることになった。また、我が国においては核燃料は、五重の壁に閉じ込められているという構造によって初めてその安全性が担保されているとされ、その中でも重要な壁が堅固な構造を持つ原子炉格納容器であるとされている。しかるに、本件原発には地震の際の冷やすという機能と閉じ込めるという構造において次のような欠陥がある。

5 冷却機能の維持にっいて

(1) 1260ガルを超える地震について

原子力発電所は地震による緊急停止後の冷却機能について外部からの交流電流によって水を循環させるという基本的なシステムをとっている。1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認しているところである。

しかるに、我が国の地震学会においてこのような規模の地震の発生を一度も予知できていないことは公知の事実である。地震は地下深くで起こる現象であるから、その発生の機序の分析は仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって、仮説の立論や検証も実験という手法がとれない以上過去のデータに頼らざるを得ない。確かに地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではない上に、正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは極めて限られたものにならざるをえない。したがって、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。むしろ、_罎国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、1260ガルという数値はこれをはるかに下回るものであること、岩手宮城内陸地震は大飯でも発生する可能性があるとされる内陸地殻内地震であること、この地震が起きた東北地方と大飯原発の位置する北陸地方ないし隣接する近畿地方とでは地震の発生頻度において有意的な違いは認められず、若狭地方の既知の活断層に限っても陸海を問わず多数存在すること、い海隆往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく近時の我が国において最大というものにすぎないことからすると、1260ガルを超える地震は大飯原発に到来する危険がある。

(2) 700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震について

ア 被告の主張するイベントツリーについて

被告は、700ガルを超える地震が到来した場合の事象を想定し、それに応じた対応策があると主張し、これらの事象と対策を記載したイベントツリーを策定し、これらに記載された対策を順次とっていけば、1260ガルを超える地震が来ない限り、炉心損傷には至らず、大事故に至ることはないと主張する。

しかし、これらのイベントツリー記載の対策が真に有効な対策であるためには、第1に地震や津波のもたらす事故原因につながる事象を余すことなくとりあげること、第2にこれらの事象に対して技術的に有効な対策を講じること、第3にこれらの技術的に有効な対策を地震や津波の際に実施できるという3つがそろわなければならない。

イ イベントツリー記載の事象について

深刻な事故においては発生した事象が新たな事象を招いたり、事象が重なって起きたりするものであるから、第1の事故原因につながる事象のすべてを取り上げること自体が極めて困難であるといえる。

ウ イベントツリー記載の対策の実効性について

また、事象に対するイベントツリー記載の対策が技術的に有効な措置であるかどうかはさておくとしても、いったんことが起きれば、事態が深刻であればあるほど、それがもたらす混乱と焦燥の中で適切かつ迅速にこれらの措置をとることを原子力発電所の従業員に求めることはできない。特に、次の各事実に照らすとその困難性は一層明らかである。

第1に地震はその性質上従業員が少なくなる夜間も昼間と同じ確率で起こる。突発的な危機的状況に直ちに対応できる人員がいかほどか、あるいは現場において指揮命令系統の中心となる所長が不在か否かは、実際上は、大きな意味を持つことは明らかである。

第2に上記イベントツリーにおける対応策をとるためにはいかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが、この把握自体が極めて困難である。福島原発事故の原因について国会事故調査委員会は地震の解析にカを注ぎ、地震の到来時刻と津波の到来時刻の分析や従業員への聴取調査等を経て津波の到来前に外部電源の他にも地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨指摘しているものの、地震がいかなる箇所にどのような損傷をもたらしそれがいかなる事象をもたらしたかの確定には至っていない。一般的には事故が起きれば事故原因の解明、確定を行いその結果を踏まえて技術の安全性を高めていくという側面があるが、原子力発電技術においてはいったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く、福島原発事故においてもその原因を将来確定できるという保証はない。それと同様又はそれ以上に、原子力発電所における事故の進行中にいかなる箇所にどのような損傷が起きておりそれがいかなる事象をもたらしているのかを把握することは困難である。

第3に、仮に、いかなる事象が起きているかを把握できたとしても、地震により外部電源が断たれると同時に多数箇所に損傷が生じるなど対処すべき事柄は極めて多いことが想定できるのに対し、全交流電源喪失から炉心損傷開始までの時間は5時間余であり、炉心損傷の開始からメルトダウンの開始に至るまでの時間も2時間もないなど残された時間は限られている。

第4にとるべきとされる手段のうちいくつかはその性質上、緊急時にやむを得ずとる手段であって普段からの訓練や試運転にはなじまない。運転停止中の原子炉の冷却は外部電源が担い、非常事態に備えて水冷式非常用ディーゼル発電機のほか空冷式非常用発電装置、電源車が備えられているとされるが、たとえば空冷式非常用発電装置だけで実際に原子炉を冷却できるかどうかをテストするというようなことは危険すぎてできようはずがない。

第5にとるべきとされる防御手段に係るシステム自体が地震によって破損されることも予想できる。大飯原発の何百メートルにも及ぶ非常用取水路が一部でも700ガルを超える地震によって破損されれば、非常用取水路にその機能を依存しているすべての水冷式の非常用ディーゼル発電機が稼動できなくなることが想定できるといえる。また、埋戻土部分において地震によって段差ができ、最終の冷却手段ともいうべき電源車を動かすことが不可能又は著しく困難となることも想定できる。上記に摘示したことを一例として地震によって複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり故障したりすることは機械というものの性質上当然考えられることであって、防御のための設備が複数備えられていることは地震の際の安全性を大きく高めるものではないといえる。

第6に実際に放射性物質が一部でも漏れればその場所には近寄ることさえできなくなる。

第7に、大飯原発に通ずる道路は限られており施設外部からの支援も期待できない。

エ 基準地震動の信頼性について

被告は、大飯原発の周辺の活断層の調査結果に基づき活断層の状況等を勘案した場合の地震学の理論上導かれるガル数の最大数値が700であり、そもそも、700ガルを超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年以後10年足らずの問に到来しているという事実を重視すべきは当然である。地震の想定に関しこのような誤りが重ねられてしまった理由については、今後学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない。本件原発の地震想定が基本的には上記4つの原発におけるのと同様、過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析という手法に基づきなされたにもかかわらず、被告の本件原発の地震想定だけが信頼に値するという根拠は見い出せない。

オ 安全余裕について

被告は本件5例の地震によって原発の安全上重要な施設に損傷が生じなかったことを前提に、原発の施設には安全余裕ないし安全裕度があり、たとえ基準地震動を超える地震が到来しても直ちに安全上重要な施設の損傷の危険性が生じることはないと主張している。

弁論の全趣旨によると、一般的に設備の設計に当たって、様々な構造物の材質のばらつき、溶接や保守管理の良否等の不確定要素が絡むから、求められるべき基準をぎりぎり満たすのではなく同基準値の何倍かの余裕を持たせた設計がなされることが認められる。このように設計した場合でも、基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に上記の不確定要素が比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない。したがって、たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。

(3) 700ガルに至らない地震について

ア 施設損壊の危険

本件原発においては基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがあると認められる。

イ 施設損壊の影響

外部電源は緊急停止後の冷却機能を保持するための第1の砦であり、外部電源が断たれれば非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得なくなるのであり、その名が示すとおりこれが非常事態であることは明らかである。福島原発事故においても外部電源が健全であれば非常用ディーゼル発電機の津波による被害が事故に直結することはなかったと考えられる。主給水は冷却機能維持のための命綱であり、これが断たれた場合にはその名が示すとおり補助的な手段にすぎない補助給水設備に頼らざるを得ない。前記のとおり、原子炉の冷却機能は電気によって水を循環させることによって維持されるのであって、電気と水のいずれかが一定時間断たれれば大事故になるのは必至である。原子炉の緊急停止の際、この冷却機能の主たる役割を担うべき外部電源と主給水の双方がともに700ガルを下回る地震によっても同時に失われるおそれがある。そして、その場合には(2)で摘示したように実際にはとるのが困難であろう限られた手段が効を奏さない限り大事故となる。

ウ 補助給水設備の限界

このことを、上記の補助給水設備についてみると次の点が指摘できる。緊急停止後において非常用ディーゼル発電機が正常に機能し、補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても、ー臂気逃がし弁による熱放出、⊇爾討鷏呂砲茲襪曚酸の添加、M焦除去系による冷却のうち、いずれか一つに失敗しただけで、補助給水設備による蒸気発生器への給水ができないのと同様の事態に進展することが認められるのであって、補助給水設備の実効性は補助的手毅にすぎないことに伴う不安定なものといわざるを得ない。また、上記事態の回避措置として、イベントツリーも用意されてはいるが、各手順のいずれか一つに失敗しただけでも、加速度的に深刻な事態に進展し、未経験の手作業による手順が増えていき、不確実性も増していく。事態の把握の困難性や時間的な制約のなかでその実現に困難が伴うことは(2)において摘示したとおりである。

エ 被告の主張について

被告は、主給水ポンプは安全上重要な設備ではないから基準地震動に対する耐震安全性の確認は行われていないと主張するが、主給水ポンプの役割は主給水の供給にあり、主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿であって、そのことは被告も認めているところである。安全確保の上で不可欠な役割を第1次的に担う設備はこれを安全上重要な設備であるとして、それにふさわしい耐震性を求めるのが健全な社会通念であると考えられる。このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは理解に苦しむ主張であるといわざるを得ない。

(4) 小括

日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。

6 閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)

(1) 使用済み核燃料の現在の保管状況

原子力発電所は、いったん内部で事故があったとしても放射性物質が原子力発電所敷地外部に出ることのないようにする必要があることから、その構造は堅固なものでなければならない。

そのため、本件原発においても核燃料部分は堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。他方、使用済み核燃料は本件原発においては原子炉格納容器の外の建屋内の使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。

(2) 使用済み核燃料の危険性

福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が危機的状況に陥り、この危険性ゆえに前記の避難計画が検討された。原子力委員会委員長が想定した被害想定のうち、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのは使用済み核燃料プールからの放射能汚染であり、他の号機の使用済み核燃料プールからの汚染も考えると、強制移転を求めるべき地域が170キロメートル以遠にも生じる可能性や、住民が移転を希望する場合にこれを認めるべき地域が東京都のほぼ全域や横浜市の一部を含む250キロメートル以遠にも発生する可能性があり、これらの範囲は自然に任せておくならば、数十年は続くとされた。

(3) 被告の主張について

被告は、使用済み核燃料は通常40度以下に保たれた水により冠水状態で貯蔵されているので冠水状態を保てばよいだけであるから堅固な施設で囲い込む必要はないとするが、以下のとおり失当である。

ア 冷却水喪失事故について

使用済み核燃料においても破損により冷却水が失われれば被告のいう冠水状態が保てなくなるのであり、その場合の危険性は原子炉格納容器の一次冷却水の配管破断の場合と大きな違いはない。福島原発事故において原子炉格納容器のような堅固な施設に囲まれていなかったにもかかわらず4号機の使用済み核燃料プールが建屋内の水素爆発に耐えて破断等による冷却水喪失に至らなかったこと、あるいは瓦礫がなだれ込むなどによって使用済み核燃料が大きな損傷を被ることがなかったことは誠に幸運と言うしかない。使用済み核燃料も原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に外部からの不測の事態に対して堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて万全の措置をとられているということができる。

イ 電源喪失事故について

本件使用済み核燃料プールにおいては全交流電源喪失から3日を経ずして冠水状態が維持できなくなる。我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から3日を経ずして危機的状態に陥いる。そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないままいわばむき出しに近い状態になっているのである。

(4) 小括

使用済み核燃料は本件原発の稼動によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない。

7 本件原発の現在の安全性

以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。

8 原告らのその余の主張について

原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても本件原発には欠陥があると主張する等さまざまな要因による危険性を主張している。しかし、これらの危険性の主張は選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから同請求の可否についても判断する必要はない。

原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が将来の世代に重いつけを負わせることを差止めの理由としている。幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによるとこの判断の必要もないこととなる。

9 被告のその余の主張について

他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

10 結論

以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

福井地方裁判所民事第2部
裁判長裁判官 樋口英明
裁判官 石田明彦
裁判官 三宅由子
【2014.05.27 Tuesday 18:23】 author : 杉篁庵主人
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問柳尋花










↑用事のついでに見た上野・不忍池の桜と柳。


嚴中丞枉駕見過  杜甫
元戎小隊出郊坰,問柳尋花到野亭。
川合東西瞻使節,地分南北任流萍。
扁舟不獨如張翰,白帽還應似管寧。
寂寞江天雲霧裏,何人道有少微星。
「(厳武中丞節度使がわざわざ立ち寄ってくれ、ひとしきり歓談してくれた時に思ったこと)
節度使が配下の小部隊をつれて城内から郊外の管轄地の視察へ出かけて、こちらの柳、あちらの花とさぐり愛でながらわたしの草堂までやってこられた。
彼が天子の節度使として東西両川を治めるおかたとして仰ぎみるのであるが、土地の南北の分かれはあるが節度使が別々でうき草のただよう様に好き勝手にされていた。
この間わたしは役割が終わったとして隠棲したのは張翰のようであるのは独りだけではなく、乱を避けて世から離れていることはまた白帽をつけて、應詔を固辞した管寧に似ていることであろう。
まことにさびしい錦江の天の雲霧のうちに処士の徴象たる少徴星があるとはだれがいうのか。厳武、きみだけがそんな星あることを知ってくれるのである。」

 
【2014.03.31 Monday 18:11】 author : 杉篁庵主人
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第七回寺のまち回遊展

今日は少し汗ばむほどの暖かな好天に恵まれ、恒例になった回遊展は盛況だった。
様子を「行徳案内」の中のこちらにアップしました。
【2014.03.29 Saturday 16:07】 author : 杉篁庵主人
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初詣?

初詣は、例年通り元旦近くの二社三寺を巡っていたが、正月気分を味わうかと、鎌倉に出かけてみた。
三が日が過ぎたといっても大渋滞、鶴岡八幡宮は人が溢れ、参拝の気力がわかない。
遠くからお参りして引き返した。
昼食に二時間かけ、ゆったりした午後を過ごしたが、新たな思いが沸くわけでもなく、中城ふみ子の歌が思い出された。

 冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか ふみ子
 年々に滅びて且つは鮮(あたら)しき花の原型はわがうちにあり ふみ子

夭折した中城ふみ子(1922〜1954)の『乳房喪失』にあるが、この第一歌集のタイトルにしたかったのが「花の原型」だったようだ。
彼女の無惨とは違った意味になろうが、老いてなお、無惨を見んがために鮮しき花を夢見るのも、人生かと思ったことだった。
小町通り近くも混み合い喧騒の坩堝だったが、その中にぽつり地元の人が一人二人いるだけの喫茶店が残っているのにはほっとした。その店の何気なさが日常というものに思えた。
【2014.01.05 Sunday 15:23】 author : 杉篁庵主人
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