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「舞姫」のモデルと鴎外の慙愧と



今夜、BS-hiで「舞姫」誕生120周年企画番組が放送された。

ハイビジョン特集 「舞姫」誕生120周年企画、「鷗外の恋人〜百二十年後の真実〜」である。
まず、番組案内から内容紹介。
■制作者から
今年は、森鴎外の処女作「舞姫」が発表されて120 年に当たります。この小説は、O(鴎外)のドイツ留学時代 の体験を基にして書かれ、登場する恋人エリスには 実在するモデルの女性がいると言われているのです が、彼は生涯ドイツ時代の恋人について、語ること も書き残すこともしませんでした。そのため、その 恋人についてこれまで多くの研究・調査がなされ、 さまざまな議論がなされてきましたが、その実像に ついての決定打がないまま今日に到っています。 今回この番組では、鴎外が恋人と運命的な出会い をしたドイツをはじめ、「舞姫」が執筆された東 京・上野にある旧居や、生誕の地・島根県津和野町 でロケを敢行し、改めて「鴎外の恋人」の実像に迫 り、鴎外の文学や生涯に新たな光を当てていきま す。ナビゲーターは、みずみずしい感性を持った、 モデルでありエッセイストでもある19歳の華恵さん が務めます。 企画・構成・演出の今野さんは、1978年に鴎外の 生涯を描いた3時間のテレビドラマ大作「獅子のご とく」(TBS)を演出して以来、折に触れ、鴎外にま つわる膨大な文献や資料を紐解き、独自に「鴎外の 恋人」に関して調べてこられました。30年後の今 年、それが番組として実を結んだのです。その着眼 点、探究心など本当に素晴らしく、今更ながらに今 野さんの凄さに感じ入っているところです。 また、この放送に併せて、今野さん執筆の同タイ トル書籍がNHK出版より刊行されます。どうぞご期待 ください!(藤村恵子)

これに関連する新聞記事より。
読売新聞
 テレビ番組制作会社「テレビマンユニオン」のディレクター・今野勉さん(74)が、森鴎外の遺品の型板などから代表作「舞姫」のヒロイン・エリスのモデルとなった女性を特定する新たな証拠を確認したことが分かった。
 今野さんは鴎外の生涯を描いたドラマ「獅子のごとく」(1978年)の演出を手がけ、エリスのモデルに関心を持った。当時、この女性から鴎外に贈られたと見られる刺しゅう用の型板の上方に「W」「B」の文字を発見し、今野さんは「エリスはW・Bのイニシャルを持つ女性ではないか」と推測していた。
 2000年、不動産登記簿などから、エリスのモデルが「アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト」ではないかとする説が現れたのを踏まえ、再度、型板を検証したところ、型板の上方に「W」「B」のほかに「A」「L」の文字も確認することが出来たという。
(2010年11月11日03時08分  読売新聞)

森鴎外は、明治14年、19歳で東京大学医学部を卒業後、直ちに東京陸軍病院の軍医に任命され、明治17年、彼は軍陣衛生研究のためにドイツに留学し、明治21年に帰国する。ドイツ留学中の鴎外の恋人「エリス」が彼を追って来日したが、鴎外は彼女に直接会うことなく、鴎外の兄弟らが彼女に会って説得し、彼女を帰国させたといわれている。
このエリスのモデルは、ヴィーゲルトとルイーゼの間に生まれた「アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト」といい、番組はその来日経過とその後の彼女が75才でなくなるまでを追っていた。次女の杏奴と三男の類の名に隠されている鴎外の思いも明らかにされた。
この女性は1872年12月16日生まれ、当時15歳の美少女という。
鴎外の帰国4日後の1888年9月12日に船で横浜に着き、鴎外と連れ添うことを反対されて1カ月後に帰国したとされる。当時の横浜の英字紙に載った同日の乗船名簿に「ミス・エリーゼ・ヴィーゲルト」の名があることが1981年に明らかになっていたが、今野さんは「彼女の父母は宗派の違いを乗り越えて結婚した。母は若死にしたが、15歳の若さで日本に行くという娘を父は後押ししたのだろう。エリーゼという名は鴎外とルイーゼの間で決めた愛称だったのでは」と推察する。
家族を説得できると思って彼女を来日させた鴎外が、母をついに説得できず、この女性を一ヵ月後ドイツに帰国させることになる。家族のために「エリス」との愛を貫けずに挫折し、屈辱の中に生きた鴎外の悲しみが伝わった。

次に揚げるのは番組の中で紹介された「エリス」を偲ぶ詩。

   「扣釦(ぼたん)」   森鴎外      
 南山の たたかいの日に
 袖口の こがねのぼたん
 ひとつおとしつ
 その扣釦(ぼたん)惜し
    べるりんの 都大路の
    ぱっさあじゅ 電灯あおき
    店にて買いぬ
    はたとせまえに
 えぽれっと かがやきし友
 こがね髪 ゆらぎし少女(おとめ)
 はや老いにけん
 死にもやしけん
    はたとせの 身のうきしずみ
    よろこびも かなしびも知る
    袖のぼたんよ
    かたはとなりぬ
 ますらおの 玉と砕けし
 ももちたり それも惜しけど
 こも惜し扣釦
 身に添ふ扣釦

鴎外の長男・於菟(1890―1967年)は、この詩に関して次のように書いてる。
 この「黄金髪ゆらぎし少女」が「舞姫」のエリスで父にとっては永遠の恋人ではなかったかと思う。エリスは太田豊太郎との間に子を儲け仲を裂かれて気が狂ったのであるが、父にもその青年士官としての独逸留学時代にある期間親しくした婦人があった。私が幼時祖母からきいた所によるとその婦人が父の帰朝後間もなく後を慕って横浜まで来た。これはその当時貧しい一家を興すすべての望みを父にかけていた祖父母、そして折角役について昇進の階を上り初めようとする父に対しての上司の御覚えばかりを気にしていた老人等には非常な事件であった。親孝行な父を総掛かりで説き伏せて父を女に遇わせず代わりに父の弟篤次郎と親戚の某博士とを横浜港外の船にやり、旅費を与えて故国に帰らせた。
 一生を通じて女性に対して恬淡に見えた父が胸中忘れかねていたのはこの人ではなかったか。私ははからず父から聞いた二、三の片言隻語から推察することが出来る。
『歌日記』の出たあとで父は当時中学生の私に「このぼたんは昔伯林で買ったのだが戦争の時片方なくしてしまった。とっておけ」といってそのかたわの扣鈕をくれた。歌の情も解さぬ少年の私はただ外国のものといううれしさに銀の星と金の三日月とをつないだ扣鈕を、これも父からもらった外国貨幣を入れてある小箱の中に入れた。私はまたある時祖母が私にいうのを聞いた。「あの時私達は気強く女を帰らせお前の母を娶らせたが父の気に入らず離縁になった。お前を母のない子にした責任は私達にある」と。(『父親としての森鴎外』森於菟 筑摩書房)

「扣釦」の詩からすると、鴎外はドイツに帰された後の「エリス」については知る由も無かったのだろう。

【2010.11.19 Friday 21:40】 author : 杉篁庵主人
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