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鴎外「舞姫」のモデルの「エリス」に新説




今度出てきたモデルは21才ということで年齢的には一番無理がない。六草さんは主人公の2人が出会った場所として、草稿での描写と酷似するベルリンのガルニゾン教会を発見し、そこから女性の記録にたどり着いたという。「舞姫」の舞台とみられる教会が見つかったというのも新説のようで、まだまだ手繰られることは多いようです。

朝日新聞 2011年3月10日5時13分
鴎外「舞姫」のモデルは彼女? 洗礼記録発見、経歴一致
 文豪・森鴎外の代表作「舞姫」のヒロイン・エリスの実像に迫る資料を、ベルリン在住のライター六草(ろくそう)いちかさん(48)がドイツの教会公文書館で発見した。鴎外を追って来日したエリーゼ・ヴィーゲルトと思われる女性の洗礼や堅信礼の記録などで、名前以外にも「舞姫」の記述と一致する点が多い。エリスのモデル研究を次の段階に進める資料だ。
 これまでのエリスをめぐる研究では、当時の英字紙に載った乗船名簿から、来日した女性の名前がエリーゼ・ヴィーゲルトであったことが分かっていた。研究者がドイツなどでエリーゼ・ヴィーゲルト捜しを続けてきたが、現地の記録で存在を確認できず、年上のユダヤ人「エリーゼ・ワイゲルト」説や、来日時15歳の「アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト」説などが出されていた。
 六草さんが発見した洗礼記録は、シュチェチン(現・ポーランド)の聖マリア教会の教会簿として保存されていた「エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト」という女性のもの。名前が乗船名簿と一致するほか、1866年9月15日に母の故郷であるシュチェチンで生まれたとあり、鴎外を追って来日した時は21歳だったことになる。
 「舞姫」には、主人公の帰国を前に、エリスの母が「ステッチン(=シュチェチン)わたりの農家に、遠き縁者あるに、身を寄せん」と言ったという記述がある。
 また、住所帳からは1898年から1904年まで、エリーゼ・ヴィーゲルトが帽子製作者としてベルリンに住んでいたことも確認された。鴎外の妹・小金井喜美子は鴎外から聞いたとして、エリーゼが「帰って帽子会社の意匠部に勤める約束をして来たといって居た」と記している
 資料の発見の経緯を六草さんは「鴎外の恋 舞姫エリスの真実」(講談社)にまとめた。六草さんはこれまで鴎外研究をしたことはなく、半年で発見に至った。「これまで教会記録を調べた研究者はいませんでした。エリーゼが垂らした細い糸をたぐり続けたことで、この資料に出会えた気がします」と振り返った。
 森鴎外記念会会長の山崎一穎(かずひで)跡見学園理事長は「乗船名簿に並ぶ一級資料の発見です。これまで多くの研究者がエリーゼ・ヴィーゲルトの身元捜しをしてきたが、これほど多くの条件がそろう女性はいなかった。さらなる研究につながる突破口になる可能性がある」と評価した。(加藤修)


去年秋、モデルについて記した記事、「「舞姫」のモデルと鴎外の慙愧と 2010.11.19 Friday」と比較してみると面白い。 

【2011.03.10 Thursday 11:24】 author : 杉篁庵主人
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