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どうする!日本


原子力安全委員会が法的根拠もないまま、なんと適当に選任した成田脩(株式会社ペスコ部長)本間俊充(独立行政法人日本原子力研究開発機)のたった2名の委員の判断によって、子どもの年間被曝量20ミリシーベルトが決められていたという記者会見での報告があった。

ペスコは、「原子力エネルギーで未来をもっと明るくしていきたい」「原子力は準国産エネルギー」とうたう原子力総合エンジニアリング会社。原発を守るために子供を犠牲にしている基準であるといわざるをえない。


また、今日の読売新聞の「表土除去住民から不満相次ぐ」の記事、「福島の牛乳うれしい」の写真と記事には、愕然、涙が出てきた。
なお、表土除去の効果は4分の1〜6分の1ほどの値になるようである。


さて、これからの「エネルギー政策」はどうあるべきかを示す記事二本。
戦後史を転換させる契機にもなる「エネルギー」転換をがまともに論じられ始めている。

原子力と違い将にこちらは「純国産エネルギー」について。これらの電力については色々のところに記事がある。そのひとつ。
意外とスゴイ![純国産エネルギー]の実力
地熱発電の技術力は世界一!沖合の波パワーは3億キロワット!関東沿岸の洋上風力発電だけで東電の発電量をまかなえる!
CO2を排出せず、環境負荷が少なく、ウランや石油のように資源を外国に頼らない「国産エネルギー」の開発が各分野で進んでいる。今まで資源のない国だと思っていたが、実は日本は「資源大国」だった!?


原発に関しては方向転換した毎日新聞の記事の転載。
「CIA」「正力」「中曽根」「田中」によって進む真相が坦々と記されている。
毎日新聞 2011年4月20日 東京夕刊
特集ワイド:「国策民営」 日本の原子力、戦後史のツケ
 危機と対応の混乱が続く福島第1原子力発電所。この国には、この「フクシマ」を含め54基の原子炉がある。そもそも被爆国であり地震国でもある日本に、なぜ、これほど多くの原発が造られたのか? 「原子力の戦後史」をひもといた。【浦松丈二】
 ◇米国の「冷戦」戦略受け導入 政治主導で推進、議論尽くさず
 <ポダムとの関係は十分成熟したものになったので、具体的な協力申し出ができるのではないかと思う>
 早稲田大学の有馬哲夫教授(メディア研究)が05年、米ワシントン郊外の国立第2公文書館から発掘したCIA(米中央情報局)機密文書の一節である。終戦直後から60年代までに蓄積された474ページにわたるその文書には、日本に原子力事業が導入される過程が詳細に描かれていた。
 「ポダム」とは当時、読売新聞社社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(1885〜1969年)の暗号名。原子力委員会の初代委員長を務め、のちに「日本の原子力の父」と呼ばれる人物だ。
 「戦後、CIAは正力氏と協力して日本で原子力の平和利用キャンペーンを進めていきました。彼が政財界の有力者とのコネを持っていただけでなく、新聞やテレビを使って宣伝できたからです」。有馬教授はそう解説する。
 米国から日本への原子力導入の働きかけ。そこには米国の「政策転換があった」と言う。転換点はアイゼンハワー大統領が53年12月の国連総会で行った「原子力の平和利用」演説だった。ソ連との冷戦で優位に立つため、関連技術を他国に供与して自陣営に取り込む戦略だった。
 唯一の被爆国でもある日本が原子力を受け入れることの戦略的意味は、米国にとって大きかった。一方、正力氏にとっては「首相の座を狙うための政治キャンペーンでもあったことが機密文書から分かります」(有馬教授)。
 54年に日本初の原子力関連予算を要求したのは当時、改進党に所属していた中曽根康弘元首相らだった。予算が衆院を通過したのは、ビキニ環礁での米核実験で漁船員らが被ばくした「第五福竜丸事件」が明るみに出る約2週間前の3月4日。中曽根氏はギリギリの日程で原発関連予算を通す。中曽根氏は原子力関連法を次々に提案し、科学技術庁(現文部科学省)の初代長官に就任した正力氏とともに、原子力事業を推進した。
 だが、急速に原子力へと傾いていったことは、日本に禍根を残す。「その一つが事故の際の住民への賠償問題です。細部の議論を尽くさずに原発を導入してしまった」。有馬教授はそう指摘する。
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 70年3月14日、日本初の商業用軽水炉として、日本原子力発電の敦賀1号機が大阪万博開幕に合わせて稼働し、万博会場への送電を開始した。正力氏はその前年に他界している。続いて新エネルギーとしての原子力に注目したのは、73年の第1次オイルショックと前後して資源外交を進めた田中角栄元首相だった。
 「田中角栄 封じられた資源戦略」(草思社)の著者でノンフィクション作家の山岡淳一郎氏は「オイルショックをきっかけに石油の限界性が強く意識されるようになりました。そして、高度成長以降、強気の電力需要予測に基づいて全国に原発が造られていった」と説明する。
 田中元首相は自民党幹事長だった69年、東京電力柏崎刈羽原発の建設誘致に動く。首相末期の74年6月には原発の立地支援のための交付金などを定めた電源3法を成立させた。「建設業界、電力業界、官僚、学会が右肩上がりの需要予測を利用して原発を推進した。『列島改造』という国土開発に原発が組み込まれた時代だったのです」
 さらに田中元首相は、米国頼みだったエネルギー政策を転換する。「田中氏は欧州の原子力大国フランスとのパイプを築き、ウラン資源を確保するとともに(プルトニウムを抽出する)再処理技術にも触手を伸ばそうとしました」。そのうえで山岡氏は「先見の明のあった田中氏であれば、そこで原子力だけではなくクリーンエネルギーにも翼を広げておけばよかったのですが……」と語る。70年代、2度のオイルショックを経て日本は原発一辺倒に突き進む。
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 世界では、2度の大事故で原発は停滞期に入る。79年に米スリーマイル島事故、86年にはソ連(現ウクライナ)でチェルノブイリ事故が起き、欧米で脱原発の機運が高まった。だが、日本は97年ごろまで毎年150万キロワットのペースで原発を拡大させ続けた。
 原子力政策の専門家で、97〜09年に原子力委員会の専門委員を務めた九州大学副学長の吉岡斉教授(科学史)は「政治は自民党一党で安定し、通産省(現経済産業省)も原発を継続する強い意志を持っていた。2度の大事故の影響は日本では限られていました。世界の情勢に逆行して日本で原発が拡大した背景には、政治と行政の特殊な構造があった」と話す。
 ところが、90年代初めのバブル崩壊以降の電力需要の低迷で、原発建設はスローダウンしていく。さらに90年代半ばに発電事業者の新規参入を認めた電力自由化で、原発は岐路にさしかかる。
 「通産省内でも『補助金漬けの原発は財政的に問題で電力自由化に逆行する』『特に金のかかる核燃料再処理事業をやめるべきだ』との議論が出てきた。05年ごろまでに再び原発継続の方向で固まったが、市場原理に基づけば原発は成り立たない。電力会社も本音ではやりたくないが、国策に従っているだけです」
 吉岡教授には、忘れられないエピソードがある。高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ火災事故(95年)を受け、97年に科学技術庁が設置した高速増殖炉懇談会に委員として招かれた。
  「ところが、議論のさなかに自民党が存続方針を出してしまったのです。懇談会の結論もそれを追認した。われわれの議論は何だったのかと思いました」
 戦後、日本は米国から原発を導入し、オイルショックで公共事業として推進し、バブル崩壊後も政府の手厚い保護下に置いてきた。政府が計画を立て民間の電力会社が運営する「国策民営」(吉岡教授)の二元体制。それが、福島第1原発の事故対応でも混乱を招いているのではないか。
 政治に利用され続けた原子力。それは資源小国ニッポンの宿命だとしても、代償はあまりにも大きかった。


これがこれまでの原発の本質だった。
原発と地域振興 
えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こいうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)


はじめに記した記事のように国民をだましてよしとし、正しい情報は海外からしかえられない状況が生まれた理由は以下の記事に読み取れる。採録しておく。

あまりにヒドすぎる菅政権「福島原発」情報統制の実態
週プレNEWS 4月27日(水)21時58分配信
■今や日本政府の信頼度は地に墜ちた
 福島第一原発による大気中の「放射性物質拡散予測」を3月末まで一般に公表しなかった日本政府が、またもや世界を唖然とさせる行動に出た。
 今まで「レベル5」と発表してきた「原発事故国際評価数値」を、4月12日に最悪の「レベル7」まで引き上げたのだ。これで福島第一原発の深刻さは、旧ソ連で25年前に起きたチェルノブイリ原発事故と肩を並べることになった。
 このレベル7は、放射性物質の放出量が数万テラベクレル以上になったことを意味している。《それほどの放射性物質が出続けた事実を公的に認めるまでに1ヵ月も要したのは異常》だと『ニューヨーク・タイムズ』紙が批判したように、今や日本政府への国際評価は地に墜ちてしまった。
 そもそも、レベル7の根拠となる放射性物質の放出量についても、経済産業省/原子力安全・保安院は「37万テラベクレル」と言い、内閣府/原子力安全委員会は「63万テラベクレル」と言っている。倍近い差があるふたつの公式数字が同時発表されたむちゃくちゃな状態なのだから、それも仕方ないだろう。
 チェルノブイリ事故の放射性物質放出量は520万テラベクレルとされているので、日本政府は原子力安全委員会の数字を根拠にチェルノブイリ事故の1割と発表したらしい。ところが東京電力は、政府見解とは矛盾する次の見解を同じ12日の記者会見で明らかにした。
「放射性物質の放出量からみて、チェルノブイリ事故に匹敵、または超えるかもしれない事故になったことを重く受け止めている」
 果たして、どちらの言い分が真実なのか? 事故発生以来、その最も重要な放射能数値計算を重ねてきた小川進博士(工学・気象学・農学)は、こう推測する。
「原子炉内に残るウラン燃料棒の数についても諸説があり、今のところ信憑性が高いのは、1〜4号炉のウラン総量は781tで、そのうち約90tが損傷した計算になるというものです。さらに主な放射性物質18種類のうち、ヨウ素131、132、134、セシウム134、136、137の6種類は3分の1の量、つまり30tが1ヵ月以上の間に大気中と海中と施設地下の土壌へ漏れ出たと考えていいでしょう。
 それに対してチェルノブイリの放射性物質放出は10tだったので、福島第一原発は1割どころか3倍規模に達し、炉心冷却作業が進行しても完全隔離しない限り放出総量は増大します」
■情報統制は復興の邪魔でしかない
 実は、3月14日に福島第一原発3号機が大爆発した直後、すでにフランスの放射能に関する独立調査情報委員会「CRIIRAD(クリラッド)」がチェルノブイリを上回る大惨事に発展する可能性を指摘していた。その調査チームが急遽来日したニュースは大きく報道されたが、あとはぷっつりと消息が途絶えてしまった。なぜなのか?
「CRIIRADの調査は信頼度が高く世界中の研究者が注目しましたが、3月15日の福島県内での放射性物質飛散量が最高で基準値の1千万倍に達し、都内でも16日夕刻にかけて基準値の100万倍を記録したという詳しい測定値を国際配信したとたん、その活動を日本の大手マスコミは無視し、公的研究機関もデータ提供をやめたんです。
 ほとんどの日本国民は知らないことですが、この時点で日本政府と報道機関が足並みをそろえた極端な情報操作が始まり、世界中から猛烈な反発を受けるようになったのです」(小川進博士)
 確かに、日本政府に対して放射能影響予測データの公開を迫ったIAEA(国際原子力機関)の緊急声明は強い非難口調だった。しかも、その日本政府のあからさまな秘密主義路線は、外国だけでなく国内の研究機関にも向けられたようだ。九州の国立大学理学部に在職するM教授は、こう憤慨する。
「われわれは東京大学の学術サイトに頻繁にアクセスして研究を進めていますが、3月末から原子力関連だけでなく地学や気象学など、いくつもの分野でパスワードを持っていてもアクセスができなくなった。同じ国立大同士でもこのありさまですから、私立大学はもっと困っているようで、学問の独立と自由が保障されない暗黒時代が来たと嘆いています」
 また、一般国民の間では反原発集会やデモ参加者の数は増えるばかりだが、実は大手新聞とテレビ局はこの件をあまり報道していない。
 福島原発事故関連の論文をいくつも日本向けサイトに発表し、注目を集めているアメリカ西海岸在住の物理学者・日沼洋陽氏は言う。
「今の日本の現状は、むしろ外国にいたほうが冷静に分析できます。反原発デモについては反日勢力が暗躍している疑いもあり、報道管制が敷かれても仕方ない面があるかもしれませんが、福島原発事故の本質部分である環境汚染や健康被害の実態に関する隠蔽は、そろそろ目に余る段階にきています」
 確定情報しか発表できない政府の立場もわかるが、重大事実を小出しにし続けていると、原発事故の傷口を広げるだけで震災の復興を妨げかねない。
 4月13日には福島県内で、プルトニウムと同じく、極めて毒性の強い放射性ストロンチウムが検出されたと発表があったが、その分析調査は3月16日から始まり、とっくに結果がわかっていた疑いがある。
 さらに、海洋研究開発機構も海洋放射能汚染のシミュレーション画像を4月13日に初公開したが、これも民主党に仕分けされかかったスーパーコンピューターを使って、早い時期から準備されていた可能性が高い。
 はっきり言おう。原発事故のレベル7への格上げに合わせて、いくつもの見え透いた新情報発表が行なわれたことは、どれほどお人よしの日本国民でも気づいているのだ。そろそろ思い切って「最悪のシナリオ」をさらけ出さないと、真の復興へ向かうスタート地点は、いつまでたっても見えてこない……。

 

【2011.04.28 Thursday 11:13】 author : 杉篁庵主人
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この記事に関するコメント
日本人には意思がない。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。

指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。

未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には、時制がなく、未来時制もない。
だから、その計画も行き当たりばったりになる。

日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。災害に強い小ブタさんの煉瓦の家は作らない。
作る暇などないからである。
日本人は、過去と未来に挟まれたごく狭い時空の中にあくせくと住んでいる。
精神を集中すると、その刹那も永遠に見えてくるから不思議である。

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| noga | 2011/05/01 5:02 PM |
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