「さんこうあんにちじょう」は、HP「杉篁庵」(sankouan)の1頁です。
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再び、「絆」とは

前回(12/12の「「絆」とは」 )の続きで、また、「絆」について。

新明解は「絆」を「〔動物をつなぎとめる綱の意〕1.家族相互の間にごく自然に生じる愛着の念や、親しく交わっている人同士の間に生じる断ち難い一体感。」とし、「3.元来平等なるべき人間を理由なく束縛し、分け隔てするもの。階級意識や差別意識など。「心の絆<先入観・謬見>を解いてくれ」〔もと誤用に基づく〕」としています。
しかし、この3の「階級意識や差別意識など」という捉え方に疑義があるものの、こちらは誤用ではなく本来の使い方から来たものであると思われます。「枷(かせ)」と同義のところがある言葉でしょう。

ここでは、「絆」の語が漢詩ではどう歌われているか見てみます。このブログで漢詩を取り上げるのは久しぶりです!


   「痩馬行」   杜甫   
 東郊痩馬使我傷  
 骨骼硉兀如堵墻  
 絆之欲動転欹側  
 此豈有意仍騰驤  
  (以下略)
   「痩馬(しゅうば)の行(うた)」
東郊の痩馬(しゅうば)我をして傷ましむ、
骨骼硉兀(ろつこつ)として堵墻(としょう)の如し。
之を絆(ほだ)さば動かんと欲して転た欹側(いそく)す、
此れ豈に仍お騰驤(とうじょう)せんとするに意有らんや。
  (以下略)

華州城の東側の郭外に瘠せた馬を見て、私を痛々しい気持ちにさせた。
骨格がごつごつとやせ細って壁や牆のようであった。
これを綱で繋ぐと、動こうとして暴れる。
昔の躍動した頃を思い出しているのだ。

ここでの「絆」はまさに「馬を繋ぐ綱」です。


その杜甫の詩の中に次のようなものがあります。

  「曲江」  杜甫
 一片花飛減卻春、 風飄萬點正愁人。
 且看欲盡花經眼、 莫厭傷多酒入脣。
 江上小堂巣翡翠、 苑邊高冢臥麒麟。
 細推物理須行樂、 何用浮名絆此身。
 
一片の花飛び、春を減却するに、
風は万點(ばんてん)を飄(ひるが)へして、正に人を愁へしむ。
且つ看るは、尽きんと欲する花の眼を経(ふ)るに、
厭ふ莫かれ、多くを傷みて酒の脣(くちびる)に入るを。
江上の小堂に、翡翠(かはせみ)巣くひ、
苑辺の高塚に、麒麟臥す。
細やかに物理を推(お)すに、須(すべか)らく行樂すべきに、
何ぞ用(もち)ゐむ、浮名(ふめい)もて此の身を絆(ほだ)さるを。

一枚の花びらが散っても春の趣を減ずるのに、
風が無数の花びらを飛ばして、本当に人を悲しくさせる。
まあ暫(しばら)くは、散りゆく花を眼にして、
心痛むことが多すぎて酒が口に入るのを厭(いや)がりなさるな。 
川の畔の小さな建物には、カワセミが巣くい。 
芙蓉苑のあたりの高い爐僚蠅任麒麟が横になっている。 
細(こま)かに物の根本原理を推(おしはか)れば、出かけて遊び楽しむべきで、 
虚名にこの身を縛られることが、どうして求められようか。捕らわれることはないのだ。


また、陶淵明に詩には、

  「飮酒二十首 其八」   陶潛
 愍昇濺豈燹⊇袷鞆鸞胸僉
 凝霜殄異類、卓然見高枝。
 連林人不覺、獨樹衆乃奇。
 提壺撫寒柯、遠望時復爲。
 吾生夢幻間、何事紲塵羈。

  「飲酒 其八」
愍湘豈爐忘澆譴鼻⊇袷霏兇了僂鰥鵑后
凝霜異類を殄(ほろぼ)さば、卓然として高枝を見(あらは)す。
林に連なれば人覚(さと)らざるも、独樹にして衆乃(すなは)ち奇とす。
壺を提(さ)げて寒柯(かんか)を撫で、遠望して時に復た爲(な)す。
吾が生 夢幻の間、何事ぞ塵羈(ぢんき)に紲(ほだ)さる。

青い松が東の畑に生えているが、
雑木が、その(松)の姿を隠してしまっている。
霜が降りて、外の木々を枯らし尽くした時に、
ひとり抜きん出た、高く秀でた木の枝が姿を現す。
林のところにあれば、人々は、その優れていることに気づかないが、
木が一本だけになって、ようやく、民衆は、めずらしいものだと気づく。
酒徳利をぶら下げて、松の寂しげな冬の枝を撫でさすり、 
時々、何度か遠くまで眺めやり、人生の来(こ)し方と行く末に思いを至らせる。
わたしの人生は、夢かまぼろしかのように儚(はかな)いのに、 
それでもなお、どうして、世間の煩わしい絆でもって繋ぎとめるのか。
(自由であるべきで世間の枠にとらわれる必要はないのだ。)

ここの「紲」は「絆」と同じく「きずな」です。
この上の二首に見られるような使い方が比喩としての本来ではないでしょうか。

 
唐の孫光憲の「竹枝詞」の中には、
 亂繩千結絆人深、 越羅萬丈表長尋。
 楊柳在身垂意緒、 藕花落盡見蓮心。
乱れし繩の千と結すびて人を絆(ほだ)すこと深く、
越の羅の万丈にして表(おもて)の 長(たけ)は尋(はか)れり。
楊柳の身に在るも意緒を垂らし、
藕花落(ち)り尽くして蓮心見(あら)はる。

乱れてもつれた縄のように恋人との思いの絡み合いはとても深いもの。
越羅の布地が一万丈ありましたら、上着の丈は測れましょう。(幾久しい訪れは永遠に続きましょう)
楊柳(垂れる思い)は身に留め置いても、思いの枝が長くたれています。
ハスの花が散り尽くしましたら蓮の実(あなたの心)が見えてきました。

ここでは「絆」が「愛着の念・恋しい人との断ち難い一体感」として詠われていますが、「繋ぎとめる綱」であることは変わりありません。


この災害時に、「安全」を言い続ける政府・官僚・学者はどんなしがらみに縛り付けられているのやら。その言を「嘘」と承知しつつ、その政策にのって地域や仕事や家や家族の様々な綱に縛られて身動きならずにいる人々がいます。
「絆」は「結び繋ぎとめる愛」をもいいますが、「絆」というさまざまの綱に縛られて避難も出来ないでいるのは悲惨な状況に見えて仕方ありません。政府を始めとして「絆」を断ち切ることこそが今求められています。
そういう意味で今年を表す漢字が「絆」であったのかと思えました。


【2011.12.14 Wednesday 10:36】 author : 杉篁庵主人
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