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70年目の終戦記念日
意識と行動の裏打ちがあって言葉は生きるものです。

さて、今日、70回目の終戦記念日の15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で正午前から開かれた。
そこでの言葉を二つ並べてみる。

最初に、天皇のお言葉    2015/8/15
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。
ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。


「さきの大戦に対する深い反省」に戦没者追悼式で初めて言及したが、これは、「新年のご感想」の一節(以下引用)の流れの中にある。
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。」

これに対していた、安倍の式辞
天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。
遠い戦場に、倒れられたみ霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、はるかな異郷に命を落とされたみ霊の御前に、政府を代表し、慎んで式辞を申し述べます。
皆さまの子、孫たちは、皆さまの祖国を、自由で民主的な国に造り上げ、平和と繁栄を享受しています。それは、皆さまの尊い犠牲の上に、その上にのみ、あり得たものだということを、わたしたちは、片時も忘れません。
70年という月日は、短いものではありませんでした。平和を重んじ、戦争を憎んで、堅く身を持してまいりました。戦後間もないころから、世界をより良い場に変えるため、各国・各地域の繁栄の、せめて一助たらんとして、孜々(しし)たる歩みを続けてまいりました。そのことを、皆さまは見守ってきてくださったことでしょう。
同じ道を、歩んでまいります。歴史を直視し、常に謙抑を忘れません。わたしたちの今日あるは、あまたなる人々の善意のゆえであることに、感謝の念を、日々新たに致します。
戦後70年に当たり、戦争の惨禍を決して繰り返さない、そして、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り開いていく、そのことをお誓い致します。
終わりにいま一度、戦没者のみ霊に平安を、ご遺族の皆さまには、末永いご健勝をお祈りし、式辞と致します。


これは、昨日の「戦後70年を迎えての談話」に重なる。
安倍の目指す「切り開く国の未来」に、巻き込まれた戦禍に苦しむ危機的状況が予感されるがゆえに、気分は暗澹となるしかない。

終戦に際しての「談話」を三本並べてみる。
まずは、
<戦後50年>村山富市首相の談話。
1995年8月、村山首相が戦後50年に当たり発表した談話全文。

先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いをはせるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗り越えて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆さま一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表すものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有り難さを忘れがちになります。私たちは過去の過ちを二度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。
特に近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、何よりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼に基づいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えに基づき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係に関わる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大を図るために、この二つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
今、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念をささげます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊(みたま)を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖(よ)るは信に如(し)くは莫(な)し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。


次は、今年の「生活の党と山本太郎となかまたち」代表小沢一郎の談話
 戦後70年を迎えて(談話)
戦後70年という節目を迎えるにあたり、先の大戦において犠牲となられた内外のすべての人々に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。
戦後70年を迎えた今も、日本は政治、経済、社会のあらゆる面において、まだ戦後を脱し切れていません。これは「戦後」の前提となる「戦前」、特に昭和史についての検証と認識が全くなされないまま今日に至っているからだと思います。
私たちは戦前の歴史的事実を冷静に見つめ、謝るべきは謝り、正すべきは正すべきだと思います。その上で、将来に向けてアジアの国々がお互いに力を合わせてやっていこうと呼びかけていくべきです。歴史ときちんと正面から向き合おうとしないから、世界各国、特に隣国の中国や韓国から歴史問題を常に蒸し返されることになるのです。
私は愛国者の一人だと自認していますが、軍事裁判という形を取って懲罰を科す手法がよいかどうかは別として、日本の戦争指導者たちがアジアの隣人に大変な苦痛と被害を与え、また自国民の多くの命と多大な財産を失わせたのは紛れもない事実です。連合国側に裁かれるまでもなく、あんなばかげた戦争を指導した当時の政治家や軍人たちは、自ら責任を取るのが当たり前です。
指導者たる者は、指揮を誤った時には自ら潔く責任を取らなければいけません。日本は8月15日を終戦記念日と言い続けてきましたが、事実は敗戦記念日です。誰も責任を取らないまやかしのナショナリズムではなく、70年前の「敗戦」をしっかりと受け止めて戦後をスタートさせ、新しい国づくりをしていかないと、日本はまた同じ過ちを繰り返すことになります。
日本は戦後、アメリカ占領軍の下で形の上での民主主義が導入されました。そして、アメリカから与えられるままに、全てを惰性で曖昧なままにして70年間を過ごしてきました。
国民一人ひとりが第二次世界大戦を自分の問題として捉えず、自らの意思で戦前の日本に向き合い、検証し、考え、そして民主主義とは何かという結論を導き出す作業を怠ってきたのです。その結果、戦後70年を迎えても、日本は依然として民主主義を本当に理解している国になれないでいます。
昭和の初めには大飢饉があり、農村では身売りしなくては家族が生活できないという現象が日本のあちこちで見られました。また、貧しい農村の人たちは徴兵制で兵役に就きました。
そうした世の中で、「財閥富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし♪」と『昭和維新の歌』で唄われたように、「日本の世の中はおかしい。誰も国のことを考えていない」と青年将校が決起して5.15事件や2.26事件という軍事的クーデターが起きたのです。
更に日本の経済的困窮に拍車をかけたのが、1929年のウォール街の株価大暴落に始まった世界恐慌でした。結局、これに日本は対処できず、軍事的な拡大で戦争景気をあおるしか方法がなく、最終的により大きな悲劇へと突入していきました。
私は5.15事件や2.26事件を政治的に肯定するつもりは全くありませんが、今の社会構造は当時と非常に似てきていると思います。現在はまだ非正規社員でも何とか食べていけますが、ひとたび世界規模の経済恐慌に襲われたら、国民は相当混乱に陥るはずです。
そういう時でも、日本人が自立していて、日本に本当の民主主義がきちんと根付いていれば、皆で知恵を出して合って、何とか困難な状況を解決していく方策を思いつくでしょう。しかし、民主主義の土壌がなければ、5.15事件や2.26事件の時のように、「今の政党政治はだめだ」「民主主義は無力だ」ということで、国民が極端な行動に走ることもあるかもしれません。私は戦後70年の節目の今年こそ、国民一人ひとりが本当に民主主義を身につけるべき年ではないかと思っています。
そして、日本に議会制民主主義を定着させ、国民が一人ひとり自分の頭で考え、投票し、自分たちの政権をつくる。自分たちが選んだ政権がおかしいとなれば、もう一方の政権を選び直す。そういう仕組みを確立する中で、政党も国民もお互いに力を合わせていけば、今後どんなことが起きようとも、日本はそれを乗り越えていくことができると思います。
私は特に最近、一日も早くそういう日本にしなければ危ないと強い危機感を抱いています。戦後70年を機に日本に本当の民主主義を根付かせ、アジアの範となるような国になることに、国民の皆さまと一緒に全力で取り組んで参りたいと思います。


最後に、安倍首相の戦後70年談話 2015年8月14日
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃(そろ)えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈(かれつ)なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛(つら)い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留(とど)めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈(しれつ)に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐(おんしゅう)を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意(しい)にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引(けんいん)してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。


この安倍談話について、朝日新聞の社説を転載しておく。
朝日新聞社説 「戦後70年の安倍談話―何のために出したのか」 2015年8月15日(土)付
いったい何のための、誰のための談話なのか。
安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として、極めて不十分な内容だった。
侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。
しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。
この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。
■「村山」以前に後退
談話全体を通じて感じられるのは、自らや支持者の歴史観と、事実の重みとの折り合いに苦心した妥協の産物であるということだ。
日本政府の歴史認識として定着してきた戦後50年の村山談話の最大の特徴は、かつての日本の行為を侵略だと認め、その反省とアジアの諸国民へのおわびを、率直に語ったことだ。
一方、安倍談話で侵略に言及したのは次のくだりだ。
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」
それ自体、もちろん間違いではない。しかし、首相自身が引き継ぐという村山談話の内容から明らかに後退している。
日本の大陸への侵略については、首相の私的懇談会も報告書に明記していた。侵略とは言わなくても「侵略的事実を否定できない」などと認めてきた村山談話以前の自民党首相の表現からも後退している。
おわびについても同様だ。
首相は「私たちの子や孫に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。
確かに、国民の中にはいつまでわび続ければよいのかという感情がある。他方、中国や韓国が謝罪を求め続けることにもわけがある。
政府として反省や謝罪を示しても、閣僚らがそれを疑わせる発言を繰り返す。靖国神社に首相らが参拝する。信頼を損ねる原因を日本から作ってきた。
■目を疑う迷走ぶり
謝罪を続けたくないなら、国際社会から偏った歴史認識をもっていると疑われている安倍氏がここで潔く謝罪し、国民とアジア諸国民との間に横たわる負の連鎖を断ち切る――。こんな決断はできなかったのか。
それにしても、談話発表に至る過程で見せつけられたのは、目を疑うような政権の二転三転ぶりだった。
安倍氏は首相に再登板した直後から「21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したい」と表明。村山談話の歴史認識を塗り替える狙いを示唆してきた。
そんな首相の姿勢に中国や韓国だけでなく、米国も懸念を深め、首相はいったんは閣議決定せずに個人的談話の色彩を強めることに傾く。
それでは公式な政府見解にならないと反発した首相側近や、公明党からも異論が出て、再び閣議決定する方針に。節目の談話の扱いに全くふさわしくない悲惨な迷走ぶりである。
この間、国内のみならず欧米の学者も過ちの「偏見なき清算」を呼びかけた。世論調査でも過半数が「侵略」などを盛り込むべきだとの民意を示した。
そもそも閣議決定をしようがしまいが、首相の談話が「個人的な談話」で済むはずがない。日本国民の総意を踏まえた歴史認識だと国際社会で受け取られることは避けられない。
それを私物化しようとした迷走の果てに、侵略の責任も、おわびの意思もあいまいな談話を出す体たらくである。
■政治の本末転倒
国会での数の力を背景に強引に押し通そうとしても、多くの国民と国際社会が共有している当たり前の歴史認識を覆す無理が通るはずがない。
首相は未来志向を強調してきたが、現在と未来をより良く生きるためには過去のけじめは欠かせない。その意味で、解決が迫られているのに、いまだ残された問題はまだまだある。
最たるものは靖国神社と戦没者追悼の問題である。安倍首相が13年末以来参拝していないため外交的な摩擦は落ち着いているが、首相が再び参拝すれば、たちまち再燃する。それなのに、この問題に何らかの解決策を見いだそうという政治の動きは極めて乏しい。
慰安婦問題は解決に向けた政治的合意が得られず、国交がない北朝鮮による拉致問題も進展しない。ロシアとの北方領土問題も暗礁に乗り上げている。
出す必要のない談話に労力を費やしたあげく、戦争の惨禍を体験した日本国民や近隣諸国民が高齢化するなかで解決が急がれる問題は足踏みが続く。
いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。
その責めは、首相自身が負わねばならない。


これに書き加えれば、安倍はほとんど言いたくないことばかりをいわされるのに苦心していて、腑抜けの文章になるしかなかったということ。
「子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言っているが、その為には、真摯な反省と謝罪の実績とその成果を示して、その歴史を学びつづけることが前提になる。それなしに「昔のこと」とほほかぶりするのは国際的に許されないだろう。未だ戦後処理の責任は果たされていないのだから。
それともう一つ。
「価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。」と言っているが、結局言いたかったことはこれだけのような文書だった。
これを言い直すと「アメリカに隷属し、米軍と一体になって「自由と平和」の旗のもとに戦争を推し進める政策を実現し、アメリカの主導する経済界に貢献したい」ということ。


追加 8/18
 「SYNODOS」からの転載。
2015.08.17 Mon
日本語訳「安倍談話」 山形浩生 / 翻訳家
2015年8月14日、戦後70年談話が安倍内閣のもとに閣議決定された。そこで、官邸サイトに掲載された英語版を、山形浩生氏に日本語訳していただいた。(Statement by Prime Minister Shinzo Abe Friday, August 14, 2015より翻訳)

安倍晋三総理大臣による声明 2015年8月14日 閣議決定

終戦70周年にあたり、私たちは冷静に戦争への道、その終結以来私たちが採ってきた道と20世紀という時代をふり返らなくてはいけません。歴史の教訓から未来への叡智を学ばねばならないのです。
百年以上前、主に西洋列強が保有していた広大な植民地が世界中に広がっていました。その圧倒的な技術優位により、19世紀には植民地支配の波がアジアへと押し寄せてきました。そこから生じた危機感が日本を近代化実現に向けて推し進めたのはまちがいありません。日本はアジアのどの国よりも先に立憲政府を樹立しました。この国は一貫して独立を保ちました。日露戦争は、アジアからアフリカまで植民地支配の下にいる多くの人々を力づけました。
世界中を巻き込んだ第一次世界大戦後、(民族)自決運動が勢いを増し、進行中の植民地化を足止めするようになりました。第一次大戦はひどい戦争で、一千万人もの犠牲を出しました。平和への強い欲望をかきたてられた人々は、国際連盟を創設し、戦争の放棄に関する条約(不戦条約)を掲げました。国際社会の中に、戦争自体を違法とする新しい潮流が生じたのです。
当初、日本もまた他の国々と歩みを一つにしていました。でも大恐慌が訪れ西洋諸国が植民地経済を巻き込んだ経済ブロック構築に走る中、日本経済は大打撃を受けました。こうした状況で日本の孤立感は深まり、外交的、経済的な膠着状態を武力行使で克服しようとしたのです。日本の国内政治体制は、こうした試みを止めるブレーキ役を果たせませんでした。こうして日本は世界の全体的な傾向を見失ったのです。
満州事件と、それに続く国際連盟脱退で、国際コミュニティがすさまじい犠牲を払って確立しようとした新しい国際秩序に挑戦する存在へと日本はだんだん自らを変えていきました。日本はまちがった道を採り、戦争への道を進んで行きました。
そして70年前、日本は負けました。
終戦70周年にあたり、私は故国と外国で命を落とした人々すべての魂の前に深く頭を垂れるものです。きわめて深い悲しみと、永遠の心底からの哀悼の意を述べるものです。
戦争で、同朋300万人以上が命を失いました。戦場で、故国の未来と家族の幸せを祈りながら。戦後に遠い異国の地で、すさまじい寒さや暑さの中で、飢餓と病気に苦しみながら。広島と長崎の原子爆弾、東京などの都市への空襲、沖縄などでの地上戦、無慈悲にも一般市民に大きな犠牲を出しました。
また日本に敵対して戦った諸国でも、将来有望な若者たちの無数の命が失われました。中国、東南アジア、太平洋諸島など戦場となった各地で、無数の罪もない市民たちが苦しみ、戦闘の犠牲となり極度の食料不足などの苦しみの被害者となりました。戦場の背後では、名誉と尊厳が極度に傷つけられた女性がいたことを決して忘れてはなりません。
無実の人々の上に、私たちの国は計り知れない被害と苦しみを引き起こしました。歴史は厳しいものです。行われたことを取り消すわけにはいきません。かれらの一人残らず、命、夢、愛する家族を持っていました。この当然の事実を厳粛に考えると、今ですら私は言葉を失い、心は最大級の悲嘆に引き裂かれます。
私たちが今日享受する平和は、こうした尊い犠牲の上に成立するものでしかありません。そしてそこにこそ戦後日本の起源があります。
私たちは二度と戦争の荒廃を繰り返してはなりません。
紛争、侵略、戦争——私たちは二度と国際紛争解決手段としていかなる脅しや武力行使にも頼りません。私たちは永遠に植民地支配を廃し、世界中の人々の自決権を尊重します。
第二次大戦についての深い悔悟とともに、日本はこの誓いを行いました。これに基づき私たちは自由で民主的な国を作り、法治に従い、二度と戦争を起こさないというあの誓いを一貫して守り続けてきました。70年という長きにわたり平和を愛する国として私たちが歩んできた道を静かに誇りつつ、私たちは二度とこの確固たる道から外れないという決意をいまでも抱き続けています。
日本は戦時中の行いについて深い後悔と心からのお詫びを繰り返し述べてきました。こうした気持ちを具体的行動で表すべく、私たちはインドネシアやフィリピンなど東南アジア諸国の人々、台湾、韓国と中国をはじめ、隣人たるアジアの人々の苦しみを心に刻んできました。そして終戦以来、地域の平和と繁栄のために一貫して献身してきました。これまでの内閣が述べてきたこうした立場は、未来にわたっても揺るぎないものです。
でも、どんな努力をしようとも、家族を亡くした人々の悲しみや戦争の破壊により多大な苦しみを味わった人々の痛々しい記憶は決して癒されません。
だから私たちは以下のことを肝に銘じねばなりません。
アジア太平洋地域の各地から六〇〇万人以上の日本人帰還兵が安全に帰国し、日本の戦後復興の原動力となれたという事実。中国に取り残された日本人の子供三千人近くが、彼の地で育ち、故国の土を再び踏めたという事実。アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアなど各国の元戦争捕虜たちが長年にわたり日本を訪れ、双方の戦死者の魂のために祈り続けてくれたという事実。
戦争のありとあらゆる苦しみをくぐりぬけた中国の人々や、日本軍による耐えがたい苦しみを体験した元捕虜たちにとって、それでもこれほど寛容であるためには、どれほどの感情的な葛藤があり、どれほど大きな努力が必要だったことでしょうか。
私たちは、この点を振り返り考えを向けねばなりません。
こうした寛容さのあらわれのおかげで、日本は戦後に国際社会に復帰できました。終戦70周年のこの機会を利用して、日本は和解のあらゆる努力を行ってきた国々や人々に対し、心からの感謝を述べたいと思います。
日本では、いまや戦後世代が人口の八割以上となっています。あの戦争とは何の関係もない子供たち、孫たち、さらにはその先に来るはずの世代に、あらかじめ謝るよう運命づけてはなりません。でもそれであっても、私たち日本人は世代を超えて、過去の歴史に正面から向き合わねばなりません。わたしたちはあらゆる謙虚さをもって過去を引き継ぎ、未来へと伝える責任を負っているのです。
私たちの親の世代と祖父母の世代は、戦後の貧窮の中、荒廃した国土で生き延びおおせました。かれらがもたらした未来は、現在の私たちの世代が受け継ぎ、そして次の世代へと手渡すものです。私たちの先人たちのたゆまぬ努力とともに、これが可能になったのはひとえに、日本が敵として熾烈な戦いを繰り広げたアメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ諸国などの実に多くの国々が、憎しみを乗り越えて私たちにさしのべてくれた善意と支援によるものです。
私たちはこれを、世代から世代へ、未来へと向けて伝えねばなりません。私たちは歴史の教訓を心に深く刻み、もっとよい未来を創り出し、アジアと世界の平和と繁栄のためにできる限りの努力をするという大きな責任があります。
私たちは日本が膠着状態を武力で突破しようと試みた過去を心に刻みます。この反省のもと、日本はあらゆる紛争は武力行使によってではなく、平和的かつ外交的に、法治に対する敬意をもって解決しなければならないという原理を堅持し、世界の他の諸国にも同じようにするよう呼びかけ続けます。戦争中の原子爆弾攻撃の惨状に苦しんだ唯一の国として、日本は国際社会での責任を果たし、核兵器の非拡散と最終的な廃止を目指します。
私たちは20世紀の戦争中多くの女性の名誉と尊厳が極度に傷つけられた過去を心に刻みます。この反省のもと、日本はそうした女性の傷ついた心の側に常にたつ国でありたいと願います。日本は21世紀を、女性の人権が侵害されない時代にするよう世界を主導します。
私たちは経済ブロック形成が紛争の種を育んだ過去を心に刻みます。この反省のもと、日本はどんな国の恣意的な意図であれ影響されないような、自由、公正、開放的な国際経済システムを構築し続けます。私たちは発展途上国への援助を強化し、さらなる発展に向けて世界を主導します。繁栄こそが平和の基盤に他なりません。日本は暴力の温床でもある貧困との闘いにこれまで以上の努力を行い、医療、教育、自立の機会を世界中の人々に提供するようにします。
私たちは日本が国際秩序への挑戦者に成りはてた過去を心に刻みます。この反省のもと、日本は自由、民主主義、人権といった基本的な価値を不動の価値として堅持し、そうした価値観を共有する国々と手を携えて「平和への積極的な貢献」の旗を掲げ、未だかつて以上に世界の平和と繁栄に貢献します。
終戦80周年、90周年、百周年に向けて、私たちはこうした日本を、日本国民とともに造りあげる決意です。
2015年8月14日 日本国総理大臣 安倍晋三


この英文については次のような感想もあった。
パトリック・ハーラン氏「政府が発表した70年談話の英文は酷いですね。複数形にできない単語が複数形になっていたり、日本文の「現在の平和は過去の犠牲の上にある」という部分が英文では「現在の平和は過去の犠牲を食い物にしている」という意味になってしまっています」(「飛べサル」8月18日)「政府が発表した70年談話の英文は、日本の中学校の英語の授業で注意されるレベルの間違いが複数ありました。政府はもう少し英語能力のある人に翻訳させるべきです」(「飛べサル」8月18日)きっこ
 
【2015.08.15 Saturday 14:54】 author : 杉篁庵主人
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