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縦書きとルビをHTMLタグを使って


この記事は いつの間にか縦書き表示が出来なくなっていた。
現在は縦書きタグをはずしてしまった。(2009/11)


以前ブログの縦書きとルビを記していたときがあったが、これがなかなかに面倒なのであったが、縦書きスクロールにすると、段だけは作らずに済むことが判った。
この縦書きタグはIEにしか対応しないが、それは仕方ないと諦めている。
試しに記事の部分でスクロールしてお読み下さい。
一行をどのくらいの丈(字数)にすればいいものかいろいろ試してみたが、標準で一行二八字程度になるように調整してみた。どんな具合であろう。
ルビをふると字並びがおかしくなるのは何故かわからない。


「宋詞鑑賞・李清照・朱淑真」をこれで作り直してみた。
テンプレート編集では構成が崩れたり他への影響が出て上手く組み込めなかったので、ページごとにタグを貼り付ける作業をすることになった。


以下、文例。


風馬牛ふうばぎゅう
〔出典〕 『春秋左氏伝』僖公四年
〔解釈〕「春秋左伝」僖公四年の「風馬牛あい及ばず」から。「風」は発情して雌雄が相手を求める意。
1. 馬や牛の雌雄が、互いに慕い合っても会うことができないほど遠く隔たっていること。
2. 互いに無関係であること。また、そういう態度をとること。(Yahoo!辞書 大辞泉)
[春秋左氏伝]
四年、春、齊侯以諸侯之師侵蔡。蔡潰。遂伐楚。
楚子使與師言曰、君處北海、寡人處南海、唯是風馬牛不相及也。
四年、春、斉侯せいこう、諸侯の師をひきいてさいおかす。さい ついゆ。遂に楚をつ。
楚子そし、師と言わしめて曰く、君は北海にり、寡人かじんは南海に処り、唯だ是れふうする馬牛も相及ばざるなり。



斉の桓公は中原に覇を唱えた春秋時代最初の覇者である。紀元前656年、諸侯を率いて小国の蔡を伐った桓公はそのまま南に進軍し、とうとう楚の国境に達した。楚の成王は斉軍の侵略の意図を図りかねて、使者を遣わして桓公に尋ねた。
「斉国は北、わが楚国は南にあります。この両国がこれほど隔絶した位置にあり、風する(さかりのついた)馬牛も及ばないといえましょう。にもかかわらず、貴公がわが楚にやってこられたのはいかなるわけか」
このとき斉の宰相・管仲は故事を持ち出してこういった。−昔、周の召康公がわが斉の始祖(太公望)に、天下に罪をなす諸侯がいれば、これを討伐せよといわれた。いま楚は周王室に対して貢物も送らずこれをないがしろにしているとしてその罪を問いにきた。また周の昭王が漢水で溺死された(紀元前1002年)ことに関して詳細をお聞きしたかった−というなれば無理やりのこじつけた理由をならべたてたのである。これに対して楚は
「貢物の件はたしかにこちらに非がありましょう。今後、納めることを約束いたします。ただ、昭王の件に関しては当方の預かり知らぬところでございます。存分に漢水を見聞なさるがよろしいでしょう。」
と答えた。こうして両国の和平交渉が召陵で行われたのである(召陵の盟)。この話から、盛りのついた馬や牛でも遠く離れてしまっては仕方なくすごすだけであるという意味で、転じて「遠く離れてしまった事に関しては預かり知らぬ(まったく関係ない)こと」をたとえていう言葉になった。


「風馬牛」の使用例。
 先生はこういう風にそれほど故郷をしたう様子もなく、あながち日本をきら気色けしきもなく、自分の性格とはれにくいほどに矛盾な乱雑な空虚にして安っぽいいわゆる新時代の世態せたいが、周囲の過渡層の底からしだいしだいに浮き上って、自分をその中心に陥落せしめねばやまぬ勢を得つつ進むのを、日ごと眼前に目撃しながら、それを別世界に起る風馬牛の現象のごとくよそに見て、きわめて落ちついた十八年を、吾邦わがくにで過ごされた。(ケーベル先生 ・夏目 漱石)






【2009.02.01 Sunday 22:42】 author : 杉篁庵主人
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