「さんこうあんにちじょう」は、HP「杉篁庵」(sankouan)の1頁です。
主にその日の庭の花の写真を掲載しています。
 
菊合せ




負け菊をひとり見直す夕べかな 一茶
白菊とわれ月光の底に冴ゆ 桂信子

菊合せに関連した季語に、菊くらべ・闘菊・勝菊・負菊などがある。
菊花競技会や菊人形もこの流れにあるが、菊合せは、当初、平安時代の重陽の節句の行事として、菊を鑑賞しながらの詩歌合わせが行われたようで、やがてそれが菊の品評会に変ったという。

 その歌合せの歌としては、
 「菊の花のもとにて人の人待てるかたをよめる   
花見つつ人待つ時は白妙の袖かとのみぞあやまたれける  紀友則・古今和歌集巻五274」という歌がある。
 この歌は891年頃催されたといわれる 「寛平御時菊合」の時の歌。詞書では「菊の花の近くで人が人を待っている人形を詠んだ」歌という。
「菊の花を見ながら人を待っている時、花を白い衣の袖かとばかり見間違えてしまった。」といった歌。

さて、陶淵明には「盈把(えいは)の故事」がある。
「陶潜九月九日無酒、宅東籬下菊聚中、摘盈把坐其側。未幾、望見白衣人至、乃王弘送酒也。即便就醉而後歸。(「続晋陽秋」)」
(飲みたいが酒が無く、家の東の籬に群がり咲く菊を折って、手にいっぱい抱えて座っていた。まもなく遠くから白い服を着た使いがやってくるのが見えた。王弘が酒を送って来たのだった。そこでさっそく酒を飲み酔っ払ってのち家にはいった。)
この歌はこの故事によってもいた。
菊の揺れる様子が袖が揺れている姿に見えるほど待ちくたびれているという歌だろう。その裏には早く一緒に酒が飲みたいという気持ちを含まれていよう。

この故事は菅原道真の詩にも詠われている。
 「秋晩題白菊」   
涼秋月盡早霜初   
殘菊白花雪不如     
老眼愁看何妄想     
王弘酒使便留居 (「菅家後草」)
 「秋の晩に白菊に題す」
涼秋の月尽き早や霜初めて
残りの菊の白き花雪に如かず。
老いの眼愁へ看るは何の妄想ぞ
王弘が酒の使ならば便ち留め居かん。

人も酒も待たれる季節ではある。
菊は酒に合わせるのが一番である。

酒臭き黄昏ごろや菊の花 一茶
よもぎふや袖かたしきて菊の酒 一茶
お菊見や酒をたまはる供の者 子規
酒買ふて酒屋の菊をもらひけり 子規


【2010.10.29 Friday 09:30】 author : 杉篁庵主人
| 文芸(詩・歌・季語) | comments(0) | - | - | - |
十三夜



今日は、旧暦九月十三日。
「後の月・九月十三夜の月・栗名月」などとも呼ばれ、お月見の風習があり、「後の月見」という。中秋の名月が中国から伝わった行事に対して、こちらは日本独特の行事という。
また、中秋の名月と十三夜の月の両方を同じ場所で眺めるのがよいとする言い伝えがり、十五夜だけでは、「片月見」といって嫌われていたともいわれる。
十三夜は、一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦919年)に開かれた観月の宴が風習化したものと言われる。

十五夜はサトイモなどを供えることが多いため「芋名月」と呼ばれるが、それに対し十三夜は「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれる。お供えとして栗や豆を、神棚などに供えるからだという。中秋の名月の後なので、「後の月」と言われたり、「小麦の名月」と呼ぶ地方もある。これは旧暦九月十三日の晩のお天気で、翌年の小麦の豊作、凶作を占う習慣から来るという。
十五夜があまりすっきりしない夜空であることが多いのに対し、十三夜の夜は晴れることが多いようで、「十三夜に曇り無し」という言葉もある。

お月見には、更に「三の月」とも呼ばれる十月十日(旧暦)の月見もあるが、これはあまり知られていないようである。「十日夜の月」と呼ぶ。

「雲きえし秋のなかばの空よりも月は今宵ぞ名におへりける」(『山家集』九月十三夜・西行)

「仲秋の月は、更科の里、姨捨山になぐさめかねて、なほあはれさの目にも離れずながら、長月十三夜になりぬ。今宵は、宇多の帝のはじめて詔をもて、世に名月と見はやし、後の月、あるは二夜の月などいふめる。」(「芭蕉庵十三夜」貞享五年(1688))

露けさに障子たてたり十三夜 虚子

人妻となりにしひとと十三夜 田中冬二

重ねたる掌のぬくもりの十三夜 伊藤敬子

追ひかけて行きたき別れ十三夜 本田攝子

十三夜孤りの月の澄みにけり 久保田万太郎

後の月つくねんとして庵にあり 子規

【2010.10.20 Wednesday 11:40】 author : 杉篁庵主人
| 文芸(詩・歌・季語) | comments(5) | - | - | - |
夜の更けて一人傾く秋の酒


日本酒のおいしい時期になった。

酒好きの若山牧水の歌に
白玉(しらたま)の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり 
酒のめばなみだながるるならはしのそれもひとりの時に限れる 

がある。

これと一緒に吉野弘の酒の詩を読みながらチビチビ。

  「酒 痴」   吉野弘
一日の終り
独り酒の顛末を最後まで鄭重に味わう
酒痴
殆ど空になった徳利を、恭しく逆さにして
縁からしたたるものを盃に、しかと受けとる
初めに、二、三滴、素早く、したたり
やがて間遠になり
少し置いて、ポトリ
少し置いて、ポトリ

やや長く途切れたあと
新たに、ゆっくり
縁に生まれる、ふくらみ一つ
おもむろに育ち、丸く垂れ、自らの重さに促されて
つと、盃に飛び込む
一滴の、光る凱旋

長く途切れたあと
少し傾げた徳利の縁に
またも、微かにふくらみかける、兆し一つ
しかし、丸い一滴へと、それがなかなか生長しないのを
急には育たない少女の胸のように
いとおしみ、見て
オイ、どうした、急げよ
などと
お色気なしの、平らな胸の、清楚な愛らしさを
からかいながら
それが丸く育つまで
逆さの徳利を静かに支え、じっと見守っている

深夜の
酒痴


これに倣って徳利を逆さにした。
最後の一滴(ひとしずく)をなめてみたが、やはり寂しい。

【2010.09.14 Tuesday 11:36】 author : 杉篁庵主人
| 文芸(詩・歌・季語) | comments(0) | - | - | - |
今日の菊出逢ひ偲びて壺に挿す


今日は重陽の節句。庭の秋明菊はこの暑さのためかまだ蕾。
重陽を詠った句をいくつか。

わが手よりつめたき今日の菊を摘む 鶴見恭子
重陽や出逢ひ約せし日の遥か 蒲みつる
重陽や海の青きを見に登る 野村喜舟
重陽の遅れゆく雲やさしげに 鍵和田ゆう子
重陽の夕焼に逢ふ幾たりか 阿部みどり女
草の戸に日暮てくれし菊の酒 芭蕉

【2010.09.09 Thursday 11:25】 author : 杉篁庵主人
| 文芸(詩・歌・季語) | comments(0) | - | - | - |
山路来て竜胆に逢ふすがしさよ


「山路来て」というと「山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉」という名句がすぐ思い出されるが、汗をかいた中で見る竜胆は殊にすがしい。どういうわけか竜胆の写真を撮り損ねている。

「りんどう」は、漢名「竜胆」の音読みが変化した語で、平安時代には「りむたう」「りんたう」「りんだう」「りうたむ」など表記は一定していないが、実際は「リンダウ」に近い発音だったと考えられている。
和歌では、
りんだうの花とも人を見てしかなかれやははつる霜がくれつつ 和泉式部
りうたんの花の色こそさきそむれなべての秋はあさぢふのすゑ 藤原定家
短歌では、
男なきに泣かむとすれば竜胆がわが足もとに光りて居たり 北原白秋
などと詠われている。


竜胆や風のあつまる峠口 木内彰志
竜胆や火の山を指す道しるべ 監物幸女

竜胆や恋しき人のそのままに 岡村里人



【2010.09.07 Tuesday 09:58】 author : 杉篁庵主人
| 文芸(詩・歌・季語) | comments(0) | - | - | - |
月白し旅行く人の影を追ふ


ひた走れ秋の夜汽車よ故郷へ
星流る車窓に遠き灯火(ひ)の親し


夜汽車といえば次の詩が思い出される。

 「夜汽車」  荻原朔太郎
有明のうすらあかりは
硝子戸に指のあとつめたく
ほの白みゆく山の端は
みづがねのごとくにしめやかなれども
まだ旅びとのねむりさめやらねば
つかれたる電燈のためいきばかりこちたしや。
あまたるきにすのにほひも
そこはかとなきはまきたばこの烟さへ
夜汽車にてあれたる舌には侘しきを
いかばかり人妻は身にひきつめて嘆くらむ。
まだ山科(やましな)は過ぎずや
空氣まくらの口金(くちがね)をゆるめて
そつと息をぬいてみる女ごころ
ふと二人かなしさに身をすりよせ
しののめちかき汽車の窓より外(そと)をながむれば
ところもしらぬ山里に
さも白く咲きてゐたるをだまきの花。

純情小曲集・愛憐詩篇より
(一九一三年、発表当時の題名は「みちゆき」)
「をだまきの花」とは、苧環(おだまき)で昔の糸巻きの形に似ているところからきてるという。「しづやしづ賎(しづ)のおだまき繰り返し昔を今に なすよしもがな」 静御前(義経記)

写真は4/23の青紫色のオダマキ。
【2010.08.19 Thursday 21:25】 author : 杉篁庵主人
| 文芸(詩・歌・季語) | comments(0) | - | - | - |
炎天に百日紅のひとり揺る


梅雨明けが次々に報じられ、猛暑日となる。
サルスベリが咲き始めている。とにかく暑い。
暑さの中に咲く百日紅を詠んだ句をあげる。

 天辺に百日紅の第一花 山本幸代
 高空を風の音過ぐ百日紅 冨田みのる

 世の中やひとり花咲く百日紅 正岡子規
 てらてらと小鳥も鳴かず百日紅 正岡子規
 てらてらと百日紅の旱かな 正岡子規
 青天に咲きひろげゝり百日紅 正岡子規
 又しても百日紅の暑さ哉 正岡子規

 百日紅ごくごく水を呑むばかり 石田波郷
 石塀のさはれぬ熱さ百日紅 片山由美子

 咲き満ちて天の簪百日紅 阿部みどり女
 百日紅空の青さの衰へず 西村和子
 百日紅佛蘭西風と見れば見ゆ 京極杞陽


 百日紅こぼれつぐ日に逢ひにけり 沼尻巳津子
という恋の句を詠んだ沼尻巳津子に
 けふ我は揚羽なりしを誰も知らず 巳津子
といういい句がある。
このアゲハチョウ(揚羽蝶・鳳蝶)を呼んだ句に
 後の月に逢ふも揚羽のゆかりなる 巳津子
 碧揚羽見えて去らざる遠き恋 巳津子
がある。
夏の句には、
 夏の月我が混沌をあるがまま 巳津子
 生涯のここまでは来し髪洗ふ 巳津子

【2010.07.18 Sunday 13:21】 author : 杉篁庵主人
| 文芸(詩・歌・季語) | comments(0) | - | - | - |
飛び立つは言の葉食みし夏の蝶


昨夜、こんな詩を読んだ。
立原の詩の朗読をしたりする鈴木東海子という詩人の詩である。


 「緑布」  鈴木東海子
草に散る鮮血は小さな花のように広がっているのだが草
の切り傷かとも思う雫れのようであった。濡れいろのむ
らさきのふくらみが敷物のように咲き詰めてから深い池
の底に沈むような花になる。
真夏の虫の葉を食む音が規則的に葉ゆれのようにすりあ
わされて実は細くなり細くなりといちまいが一茎になる
のである。ひとはなにひとまわりのかこみによってむら
さきの点描画になるのだった。葉のかずだけ茎があり花
のかずだけ茎があり食む音がやむ頃には茎だけが立って
いる。そうして赤と黒の縞模様の虫は菫の枯野を渡って
いくのだが。まだ夏の風がたまって湿っている急斜面を
のぼってゆくと休息するのにいいへこみに前足をかけて
眠りにはいるのだった。雨にぬれることもなくおだやか
な眠りをすごすのである。
それは仮りの眠りでもあったのだろうか。
育つ眠りとでもいうように内部が変ってゆく眠りのなか
でむらさきが結実するかのように目覚めるのであるが羽
が花びらのように開くのであった。薄黄色の花びらに黄
土色の斑点のついている羽がある。あの毛ばだつ赤は地
にしみて吐血のようであった。鐘型のふちどりの金銀が
わずかに繊毛のように粉ふいている。
菫だけを食みあのむらさきを体内に詰めこみ菫色に染ま
り蛹はむらさき蝶に羽を広げることを疑わなかっただろ
う。望むこともなかっただろうか。わたしはむらさきの
羽を待ちたかったのだろうか。あのあさにわたしはむら
さきを吐いたのだが。それで望むことを忘れるだろう。
望むことがなかったかのように言葉を吐きだしたかった。
はずだ。
赤と黒とが混り合うことは言葉が混り合うようには作用
しなかった。黒い言葉のように赤い言葉のように叫ぶ言
葉が内部に詰っていて候もとまでも詰っており時おり吐
くのだが鮮血のはなびらの形をしてひろがるだけであっ
た。もうわたしのなかには混り合った言葉はなく赤い色
も黒い色も変色して薄い羽のように低く飛びたつだけに
なる。
静まる言葉たちよ。
虫のように夏を食みかたい内側にこもればいいのだ。言
葉たちは時のなかで羽化するであろう。言葉たちとして。
言葉の布になる。


【2010.06.27 Sunday 09:28】 author : 杉篁庵主人
| 文芸(詩・歌・季語) | comments(0) | - | - | - |
群れ烏声高に鳴く梅雨晴れ間



「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」

昨夜、知人とのメールで、太宰治の「ひとりゐて螢こいこいすなっぱら」という句から、さまざまの蛍の姿が思い浮かび、話が杜甫の「倦夜」にある「暗飛蛍自照」に飛んだ。

  「倦夜」 杜甫
竹涼侵臥内 野月満庭隅
重露成涓滴 稀星乍有無
暗飛蛍自照 水宿鳥相呼
萬事干戈裏 空悲清夜徂

竹涼しく 臥(ふしど)の内を侵し
野の月 庭の隅に満つ
重なる露は涓滴(けんてき・しずく)と成り
稀らなる星は乍(たちま)ち有るや無し
暗きに飛びて蛍自ずからを照らし
水に宿りて鳥相ひ呼ぶ
万事は干戈(かんか・たたかい)の裏
空しく清夜の徂(ゆ)くを悲しむ


この「自照」から思い出されたのが、先に記した言葉だった。
以前から折に触れて引用することが多かったこの言葉を知ったのは、昭和40年代半ば頃ではないかと思う。映画監督の大島渚が自分を支える言葉として引用していたのだつた。一度聞いて印象に残りそのまま私の中に定着した。もう40年以上前の話だ。
この言葉を大島は「ライを病んだ歌人」の言葉として紹介し、その歌人の名も記していたとは思うけれど記憶に残らず、当時調べる手立てもないままに知らずにいた。
昨夜、ネットでこの言葉を検索すると一瞬にしてこの言葉が「明石海人」という歌人のものだつたと判明した。
此方がそのサイト


歌集「白描」序文にある言葉であった。
この歌集は昭和14年に改造社より出版され、25万部のベストセラーになったという。
明石海人は明治34年7月5日生まれ。小学校教員で、大正12年に結婚、2女をもうけるも昭和3年にハンセン病と診断され、岡山県の長島愛生園で隔離療養生活をおり、昭和13年(1938)闘病の歌が「新万葉集」に十一首入選収録され、昭和14年(1939)歌集「白描」がベストセラーになった。同年6月9日死去、39歳。


 「白描」序文
「癩は天刑である  
加はる笞(しもと)の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呷吟(しんぎん)しながら、
私は苦患(くげん)の闇をかき捜って一縷(いちる)の光を渇き求めた。
― 深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない ―
そう感じ得たのは病がすでに膏盲(こうこう)に入ってからであった。
齢(よわい)三十を超えて短歌を学び、
あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、
己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、
積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には抃舞(べんぶ)しながら、
肉身に生きる己れを祝福した。
人の世を脱(のが)れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、
明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった」

この詩集は
◇診断の日
医師の眼の穏(おだ)しきを趁(お)ふ窓の空消え光りつつ花の散り交ふ
言もなく昇汞水に手を洗ふ醫師のけはひに眼をあげがたし
から始まり、
父母のえらび給ひし名をすててこの島の院に棲むべくは来ぬ
その後、喉が崩れ、目も見えなくなるという闘病の中での歌が続き、
◇翳
新緑の夜をしらじらとしびれつつひとりこよなき血を滴らす
で終わる。


思い返すと、この「深海の‥‥」の言葉には随分お世話になっていた。

【2010.06.21 Monday 10:39】 author : 杉篁庵主人
| 文芸(詩・歌・季語) | comments(0) | - | - | - |
鴛鴦の一人逸(はぐ)れし夏の沼


昨日、興に載って作った十四行詩。それを七言詩にしてみたもの。


 沼

霧雨に包まれて
ふたり一つの傘に肩寄せていた
沼のほとりに
一人佇むと

かつて見た雨上がりの空が
夕刻の色に染まっている
あなたの置いていった傘を
今日も手にして

水鳥の動きを追うともなしに
眺めいっている

あの「時」は何処に去って行ったのだろう
芽生えたばかりの蓮の葉には

小さな水滴が光っていて
やがて花咲く夏を遠く想いやっている



 常記沼邊霧雨濃
 寄肩一傘佇夕鍾
 懷昔望見遊水鳥
 淚溜蓮葉痛吾胸


【2010.05.24 Monday 11:23】 author : 杉篁庵主人
| 文芸(詩・歌・季語) | comments(0) | - | - | - |