「さんこうあんにちじょう」は、HP「杉篁庵」(sankouan)の1頁です。
主にその日の庭の花の写真を掲載しています。
 
初詣?

初詣は、例年通り元旦近くの二社三寺を巡っていたが、正月気分を味わうかと、鎌倉に出かけてみた。
三が日が過ぎたといっても大渋滞、鶴岡八幡宮は人が溢れ、参拝の気力がわかない。
遠くからお参りして引き返した。
昼食に二時間かけ、ゆったりした午後を過ごしたが、新たな思いが沸くわけでもなく、中城ふみ子の歌が思い出された。

 冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか ふみ子
 年々に滅びて且つは鮮(あたら)しき花の原型はわがうちにあり ふみ子

夭折した中城ふみ子(1922〜1954)の『乳房喪失』にあるが、この第一歌集のタイトルにしたかったのが「花の原型」だったようだ。
彼女の無惨とは違った意味になろうが、老いてなお、無惨を見んがために鮮しき花を夢見るのも、人生かと思ったことだった。
小町通り近くも混み合い喧騒の坩堝だったが、その中にぽつり地元の人が一人二人いるだけの喫茶店が残っているのにはほっとした。その店の何気なさが日常というものに思えた。
【2014.01.05 Sunday 15:23】 author : 杉篁庵主人
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藜(あかざ)の杖で春を探ねて


中唐の詩人・元稹(779年〜831年)に「歳日」という詩がある。

 一日今年始,一年前事空。
 凄涼百年事,應與一年同。

一日 今年始まり、一年 前事の空し。
凄涼たり百年の事、応(まさ)に一年と同じなるべし。

今日ここに新しい年が始まったが、振り返ってみると去年一年は空しいものとなった。思えば百年のことを考えるも侘びしいものだ。きっと、この一年と同じで、虚しく過ぎてしまうだろう。

百年を人生と捉えるか世の様と捉えるか。昨近の世の動きに冷ややかな寂しさを感ずる身には、この虚しさに共感しそうになる。


さて、「探春」(戴益)という詩がある。
戴益は、宋(960〜1279年)の人で、生歿年不詳、残されているのはこの詩一首だけという。
この詩は多種の伝承があり、どれが元なのか分からない。
並べてみる。

「探春」 戴益

盡日尋春不見春,杖藜踏破幾重雲。
歸來試把梅梢看,春在枝頭已十分。

盡日尋春不見春,芒鞵踏遍隴頭雲。
歸來適過梅花下,春在枝頭已十分。

盡日尋春不見春,芒鞋踏遍隴頭雲。
歸來笑拈梅花嗅,春在枝頭已十分。

終日尋春不見春,芒鞋踏破嶺頭雲。
歸來偶把梅花嗅,春在枝頭已十分。

終日尋春不見春,杖藜踏破幾重雲。
歸來試把梅梢看,春在枝頭已十分。

・盡日=終日 ・杖藜=芒鞵、芒鞋 ・踏破=踏遍
・幾重=隴頭 ・試把=適過、笑拈、偶把 ・看=下、嗅
短い詩なのになんと七箇所に異語があてられている。

「春を探(さぐ)る」 戴益(たいえき)

尽日(じんじつ)[終日]春を尋(たづ)ねて春を見ず
杖藜(じょうれい)踏破(とうは)す幾重(いくちょう)の雲
[芒鞵(ぼうあい)(芒鞋(ぼうかい))踏みて遍(あまね)し、隴頭(ろうとう)の雲]
帰来(きらい)試みに梅梢(ばいしょう)を把(と)って看(み)れば
[帰来(きらい)適(たまた)ま梅花(ばいか)の下(もとを)過ぐるに]
春は枝頭(しとう)に在(あ)って已(すで)に十分
・隴頭は隴山(甘肅省と陝西省の境の大きな山)のほとり。蒼茫・凄涼の感情をもたらす辺境。

禅宗では、「帰家穏坐(きけおんざ)」ということを言うが、悟道詩として、道も、真理も、悟りも、別処にあるのではなく、則ち今その足下に、自身という家の中に在ると教える詩として引用される。
しかし、この詩の発見はまさに外に出て訪ね尋ねてその果てにこそ始めて自らの中に見出される喜びを歌っているのであろうと思う。しかもこの梅花はまだ蕾であろう。

未だ真理も悟りも得ない身は、仙人にとっては必携といわれる「藜の杖(あかざのつえ)」をついてあちこち彷徨ってみるとしようか。


 
【2014.01.03 Friday 10:29】 author : 杉篁庵主人
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午歳にちなんで
 敬頌新禧(けいしょうしんき)
 :あらたなるさいはひをうやまひたたふ
 ↑北尾重政(江戸時代中期の浮世絵師の「梅樹下の馬」
色の違った三頭の馬が水辺で戯れているこの図は、初春に咲く紅梅を添えて「午年」用に作られたのであろう。美人画を得意とした重政が版元の意向に添って描いた珍しい絵という。

 去年今年世の様遠く風馬牛
  (風馬牛とは互いに無関係であるとい態度)
 春風の耳にかすめる世事多難
  (午年ということで四字熟語「馬耳東風」から)
 
この「馬耳東風」は李白の詩の一節によります。
 吟詩作賦北窗裏、萬言不值一杯水。
 世人聞此皆掉頭、有如東風射馬耳。
 
詩を吟じ賦(ふ)を作る 北窓の裏、
万言値せず、一杯の水。
世人此れを聞きて皆頭(こうべ)を掉(ふ)る、
東風の馬耳射るが如き有り。
 
・賦:韻文の一種。・窗:窓。・掉:ふる。ふるう。
(訳)北に面した窓に寄りかかって、詩を吟じ、賦を作り、多くの優れた言葉を連ねても、一杯の水にも値しない。というのも、世の人は詩や賦を聞いても(そのすばらしさを理解できずに)頭を振り、ちょうど馬の耳に東風が吹くのと同じように、気にもとめないからだ。
 
この句は、李白の「答王十二寒夜獨酌有懷」にあります。
能力を認めてもらえず、不遇をかこつ李白の友人王十二が、『寒夜獨酌、懐(おも)うところ有り』という詩を李白に寄せると、李白はそれに答えて詩を作りました。
世間では能力のない俗物が出世して、真の賢才には陽の目が当たらないのだ、と嘆いています。『荘子』や『韓非子』の故事をひき、さらに韓信などの歴史上の人物を執拗なまでに数多く列挙している筆致から、李白の博識を知ると同時に、世の中に対する不満がいかに根深いものであったかが窺われる詩です。
その詩の中に、この一節があります。
「我々が詩を吟じ、賦を作り、多くの優れた言葉を連ねても、一杯の水ほどの価値もないのだ。というのも、世の人々は詩や賦を聞いてもそのすばらしさを理解できずに、頭を振るばかり。ちょうど馬の耳に東風が吹くのと同じ事で、気にもとめられないのだ。」
こうした不満をぶつけながらも、李白は同じ詩の中で、時折、諦観をのぞかせてもいます。「人生はたかだか百年、あっという間に過ぎ去ってしまうのだから、酒でも飲んでのびのびと過ごそうではないか(人生飄忽百年內,且須酣暢萬古情。)」ここにいかにも酒好きの李白らしい詠いっぷりがみられます。
 
《答王十二寒夜獨酌有懷》李白 
昨夜吳中雪,子猷佳興發。
萬里浮雲卷碧山,青天中道流孤月。
孤月滄浪河漢清,北斗錯落長庚明。
懷余對酒夜霜白,玉床金井冰崢。
人生飄忽百年內,且須酣暢萬古情。
君不能狸膏金距學斗雞,坐令鼻息吹虹霓。
君不能學哥舒,垤埓蝶ぬ誦菘瓠だ湘棒來伴荵芒棔
吟詩作賦北窗里,萬言不值一杯水。
世人聞此皆掉頭,有如東風射馬耳。
魚目亦笑我,謂與明月同。
驊騮拳跼不能食,蹇驢得志鳴春風。
折楊黃華合流俗,晉君聽琴枉清角。
巴人誰肯和陽春,楚地猶來賤奇璞。
黃金散盡交不成,白首為儒身被輕。
一談一笑失顏色,蒼蠅貝錦喧謗聲。
曾參豈是殺人者,讒言三及慈母驚。
與君論心握君手,榮辱于余亦何有。
孔聖猶聞傷鳳麟,董龍更是何雞狗。
一生傲岸苦不諧,恩疏媒勞志多乖。
嚴陵高揖漢天子,何必長劍拄頤事玉階。
達亦不足貴,窮亦不足悲。
韓信羞將絳灌比,禰衡恥逐屠沽兒。
君不見李北海,英風豪氣今何在。
君不見裴尚書,土墳三尺蒿棘居。
少年早欲五湖去,見此彌將鐘鼎疏。
【2014.01.02 Thursday 10:02】 author : 杉篁庵主人
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梅の宿

あけましておめでとうございます。

恒例の「歳旦三つ物」です。
福水やおぼろの花に鳥歌ふ
馬の耳にも初風の声
歳徳の遊びし夜の夢醒めて

こちらは、七言絶句。
「歳旦詩 梅の宿」
新春午下覚東風
早咲梅花節物夢
得趣烹言歌未就
徒爾曖昧琴音朧

新春の午下 東風に覚む
早や咲ける梅花 節物の夢
趣を得て言を烹るも歌未だ就かず
徒爾曖昧にして琴音朧なり


梅の香に琴の音添ふも歌ならず想ひ虚しき初春の宿


地歌筝曲の「梅の宿」の詞は誠におめでたい。

糸竹の、世々ふしなれし鶯の、声の調べも新玉の、
幾春霞立つなこそ、いろ白妙に匂ふらめ、
梅咲く宿や、千代ならん、梅咲く宿や千代ならん。

訳・管弦の調べに、いつも節なれている鶯の声が、新玉の春を奏でてくれる。あちこちに春霞が立っていて、白妙の梅が匂っていることであろう。梅の花咲く家は、永く栄えるであろう。



盆梅が今年もいい具合に咲き始めました。
また、元旦でもあるので、ここにもうひとつ句と歌をあげておきます。

「明の春」
盆梅の二輪三輪明の春 杉竹
又ひとつ老いたる朝や梅二輪 杉竹

色見せて匂へる梅の明の春憂さを思ふや老を託(かこ)つる 横雲


俳句は杉竹の号で詠んだりしています。
また、横雲の名で和歌を詠んだりもしています。
【2014.01.01 Wednesday 02:27】 author : 杉篁庵主人
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良い年なんて来るのか?
 
ネルソン・マンデラ
 
原発事故前に事故の恐ろしさを書いていたものは無意味な妄想と笑われていた。
また今、日本は滅亡の道を歩みだしている、と書いてもやはり妄想と笑われる。
 
秘密保護法が通り、外交も公安も原発も情報は遮断秘匿され、また武器輸出三原則は蔑ろにされ公然と他国に供与する状況がつくられた。安倍の靖国参拝に軍事国家の影が明らかにされ、集団的自衛権の解釈改憲を経て、改憲へ動き出し、このままでは秘密保護法のもと核開発核武装さえも「秘密裏」に行われ、戦争準備が進められるのだろう。
安倍の靖国参拝が「緊張を悪化させる行動で、日本の指導者に失望(disappointed)した」と米韓中露の認識を一致させ、「歴史に直面できない無能者」と批判されてしまったが、靖国の本質を論ずる人はすくない。 
 
福島第一原発の海側にある観測用井戸で僅か1リットル(バケツ1杯)あたりで、210万ベクレルの即死汚染水が観測されていた。いったい海にどれほどの汚染水が何トン垂れ流されているのか見当もつかない。この福島の状況は未だ明確にされず、汚染除去が進むどころか汚染が加速しているのにも対応がみられない。
また、世の中は経済(金儲け)一辺倒だか、この価値観でいいはずもない。だからこそ「無為自然・小国寡民」の思想が、今求められてもいいいのだろう。
 
確かに、未来は定まってはいない。
また、私が、その滅亡という未来を見ることは時間的にはないのかもしれない。
この「馬鹿な杞憂」が、しかし杞憂に終わらないという予測の方が確率としてはどんどん高くなっている状況は誰の目にも明らかだろう。
猪瀬が嵌められ引き下ろされた闇はどういったものかしれないが、都知事選て今の状況に抗する候補を立てえない状況をみているとこの都知事選も茶番になるしかないのかと思う。
このブログでは、参院選後は、考えると自分の心身に障るからもうこうした政治状況については書かないようになっていた。これは別に諦念というのではないが、気力がわかない。
 
はや毒は私だけでなく、この国の全身に浸透し、来年は今年以上に状況は危機的になるだろう。また、未だ古い記事を検索される方もいるのだが、多分ここに新たにこの危機を書く事はほとんどなくなるだろう。
ここではただ、確かにこの状況を作っているのはわれわれ国民ではある、とマンデラの言を引用し、明記しておこう。
 
良いお年をお迎えください。
【2013.12.30 Monday 16:50】 author : 杉篁庵主人
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帰還困難区域の米


原発から30キロ圏内で防護服をつけての試験的な田植え

「安全性は確認できた。今後は消費者の信頼を得る方法を考える必要がある」と試験栽培を続け、将来の営農再開にむけているという。ひとが住めない帰還困難区域でつるコメをどんどん食べろ!と勧めるつ方針。
国も風評被害打破と汚染地の産物を広めている。
外国では相変わらず日本の食料は輸入禁止である。

「世界が輸入禁止にしている日本の食材」
PDFのダウンロードはこちらから。
http://happy-net.jp/uploader/Ban_on_import.pdf


福島民報
コメ検出限界値未満 飯舘村の帰還困難区域で初の試験栽培
 飯舘村は17日、東京電力福島第一原発事故で営農が禁止されている帰還困難区域で初めて試験栽培したコメの放射性物質の測定結果を発表した。全て検出限界値未満(限界値は1キロ当たり10ベクレル)となった。
 村は10月、帰還困難区域の長泥行政区の水田5アールでコメ約200キロを収穫した。水田の中央部や四隅など栽培位置に偏りがないよう検体約15キロを抽出した。
 福島市飯野町学習センターで開かれた放射能技術セミナーの席上、村復興対策課の万福裕造主任研究員が測定結果を発表した。
 食品衛生法の基準値は1キロ当たり100ベクレルで、万福氏は「安全性は確認できた。今後は消費者の信頼を得る方法を考える必要がある」と述べた。
 村は来年度以降も長泥行政区での試験栽培を続け、将来の営農再開に必要なデータを収集する。( 2013/11/18 08:32  )


【2013.11.18 Monday 10:36】 author : 杉篁庵主人
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紅葉の北軽井沢
10月末の北軽井沢の紅葉です。


↓軽井沢駅前・雲場池

 
【2013.11.01 Friday 14:02】 author : 杉篁庵主人
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行徳の秋祭り
 
祭には絶好の秋日和。
今日は市川市欠真間・香取・湊新田・湊以上四ケ村の祭礼(香取神社祭礼)と相之川の日枝神社のお祭りでした。本行徳は陰祭。
南行徳香取(かんどり)1丁目の香取神社例大祭は、四町会の神社になり、本社神輿は欠真間・香取・湊・湊新田へ町内渡し神輿渡行されていく。
相之川には日枝神社と香取神社の二社が祀られていて、日枝神社は欠真間と相之川の境近くの相之川1-9の地、香取神社は旧今井橋跡近くの相之川1-26に祀られている。













【2013.10.13 Sunday 14:16】 author : 杉篁庵主人
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伊勢神宮の「遷御の儀」への安倍の列席


この数日、ニュースで伊勢神宮の「式年遷宮」「遷御の儀」がトップに扱われていた。
なんだか奇異に感じてはいたが見もしないでいた。

しかし、これに、安倍や麻生が列席していたという。 このところ政治活動へ皇室や神道が組み込まれていることが顕著になっている。 皇室はこれに警戒感を持っているようだが、「政治」がこれを利用しょうという動きを露わにしている。 戦後は「明治以降の国家神道のありようは誤謬だった、これを政治の道具にしてはならない」との共通認識があったはずである。
憲法は、20条の政教分離の原則の規定によって、明確に国家権力者にこうした宗教儀礼への接触を禁じている。 それゆえ、この戦後、「遷御の儀」については、国家神道の祭事として特別な宗教的意義をもつ 行事と、公的立場の首相は接触を断っていた。

それがどう転換してしまったのか。これまでは一風俗として報じていたマスコミがなぜお祭り騒ぎにするのか。
これも危険な時代の兆候である。
【2013.10.03 Thursday 20:41】 author : 杉篁庵主人
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弾劾すべし


このところテレビのニュースは、見ると恥ずかしく気持ち悪くなるので見られなくなった。
嘘とはったりのだまして成り立つイベント、矜恃を捨てての金儲けだけのイベントをどうして喜べるのだろう。

そのことがはっきりしているのに景気が良くなるという幻想だけで喜んでいいものだろうか。
実質は、経済効果というより心理的影響を狙ってのもので、その心理的効果は政治体制として日本を泥沼に導くものでしかない。
東京は五輪開催が3兆円の経済波及効果と15万人の雇用創出につながるとの試算を発表しているが、これは国内総生産(GDP)をわずか0.5%押し上げるだけにすぎない。これで大増税はマイナスにしか働かない。

安倍は年金処理のときも「最後の一人まで」と「約束」していた。切羽詰まると後先考えず嘘をついてその場を切り抜けようとする男ということはわかっていた。あの時の「約束」とは次元の違う今回の発言は国際的信義にもとる。
この安倍を日本の首相という地位に置くことの恥ずかしさを本当に感じないのだろうか。この安倍の嘘と背信を「首相にふさわしくない」と弾劾する声が聞こえない。
これで狂騒曲があと7年間も続くとなると「暗い時代」はいよいよ深まっていくと慨嘆せざるをえない。


アメリカではフクシマ原発について、1億人の署名運動が始まりつつある。日本政府に任せていては不安だから、米政府が解決に乗り出すべきだと、オバマに直訴するらしい。他の国もこの感覚は同様だろう。

 

【2013.09.10 Tuesday 09:30】 author : 杉篁庵主人
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